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   2000年12月11日発売

映像という神秘と快楽
〈世界〉と触れ合うためのレッスン

長谷 正人 著

四六判 並製カバー装 216頁
定価:本体2,500円+税
ISBN 4-7531-0214-9 C0074  
映画、写真、グラフィックスなど、映像は〈みる〉ものという観念が一般的である。本書は、その通年を破って、映像の体験から、その神秘性、狂気、快楽を味わう見方を示す。

本書はあえて時代に背を向けて、徹底的に自分の映像体験へと内的に遡行することにした。いったいなぜ私は映画オタクなのか。なぜ私は繰り返し繰り返し映画を見続けてきたのか。そして写真はいかなる魅力でもって私を魅惑しつづけてきたのか。そのような映像経験に関する内的な問いを突き詰めて考えることが、本書の試みである。                                      (「あとがき」より) 

【著者紹介】
長谷 正人 (はせ まさと)
1959年千葉県生まれ。1983年早稲田大学第一文学部卒業。1988年大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程中退。1988年千葉大学教養部専任講師、1994年同大学文学部助教授を経て、現在、早稲田大学文学部教授。
著書:『悪循環の現象学――「行為の意図せざる結果」をめぐって』(ハーベスト社、1991年)、『映画の政治学』(中村秀之と共編著)青弓社、2003年。
訳書:『アンチ・スペクタクル――沸騰する映像文化の考古学』(中村秀之と共編著書)2003年、東京大学出版会。
主論文:「検閲の誕生――大正期の警察と活動写真」『映像学』53号(日本映像学会、1994年)、「遊戯としてのコミュニケーション」大澤真幸編『社会学のすすめ』筑摩書房、1996年、「テレビ世界の生態学的観察者――ナンシー関の倫理をめぐって」『文藝別冊』トリビュート特集、河出書房新社、2003年、「20世紀の映像文化とメロドラマ的想像力」伊藤守他編『電子メディア文化の深層』早稲田大学出版、2003年、「『絶対速度』の移動体験――情報化社会の映画をめぐって」正村俊之編『情報化と文化変容』ミネルヴァ書房、2003年。

【目次】

第1部 写真という神秘と狂気
1 ベルグソン、あるいは写真としての現実
2 バルト、あるいは触覚的メディアとしての写真
3 バザン、あるいは痕跡としての写真
4 「人影」あるいは写真としての原爆
5 ベンヤミン、あるいは視覚的無意識としての写真
6 記憶痕跡としての写真――手塚治虫の『白い幻影』
7 ゴーリキー、あるいは単調な灰色の世界としての映像
8 戦時下のヴァーチャル・リアリティ――『南の島に雪が降る』
9 「まなざしなき視覚」とv−チャル・リアリティ

第2部 カメラという残酷と愛情
10 顔写真の政治学――「酒鬼薔薇聖斗」問題をめぐって
11 意味記憶とエピソード記憶――『記憶が失われたとき』
12 ドキュメンタリー映画における単独性
13 生命なき世界としての視覚的失認症
14 「具体の視線」としてのイディオ・サバン
15 バラージュ、あるいは相貌的知覚としてのカメラ
16 蓮實重彦、あるいはカメラの眼をもった男
17 子供の視線としてのカメラ――ロッセリーニからキアロスタミへ
18 ピロピロ笛、あるいは存在の情けなさとしての神代辰巳

第3部 映画という反復の快楽
19 機械的反復の魅惑としての『どですかでん』
20 フロイト、あるいは映画カメラとしての人間的視線
21 快感原則の彼岸としてのリュミエール映画
22 アルコール先生、あるいはチャップリンの機械恐怖症
23 小津安二郎、あるいは単調な機械的反復
24 「空っぽ」の反復という快楽――黒沢清の『CURE』
25 北野武、あるいは「死」の快楽としての反復
26 アドルノとホルクハイマー、あるいは古典的ハリウッド映画における反復
27 映画観客の笑いと機械的反復
28 ドゥルーズ、あるいは世界を信じることとしての映画
あとがき 
 

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