2011年07月20日発売

諦めの哲学

鈴木 文孝 著

四六判 上製カバー装  218頁
定価:本体2,600円+税
ISBN 978-4-7531-0290-7 C3010
二〇一〇年九月、以文社から刊行された拙著『永井荷風の批判的審美主義 特に艶情小説を巡って』の校正の合間に、永井荷風の『冷笑』を読み返しながら、『冷笑』において荷風が自分の思想を《六笑人》に託して語っていることに気づき、また、荷風が当代のフランス文学思潮についての語りを交えながら、本質的には《諦め》という東洋思想について語っているのではないかということに思い至った。そして、私は、《諦め》について論考を執筆することを思い立つに至った。            (本書序より)

【目次】

凡例
第一章 永井荷風『冷笑』における「諦め」
 第一節 「八笑人」の閑談会の企画――「笑ふ」ということ
 第二節 閑談会の企画の発端とメンバー推薦の模様
 第三節 諦めを語る笑人たち
  一 『冷笑』における享楽主義を巡って
  二 日本的心性としての諦め
  三 吉野紅雨の芸術観とその根底にある諦観
  四 吉野紅雨の倫理観・社会観
  五 吉野紅雨の「過渡期」の観念
  六 『冷笑』に見られる「戯作者宣言」への方向性
第二章 くりこみ理論と諦めの哲学
 第一節 くりこみ理論における放棄の原理
 第二節 くりこみ理論の完成期における日本の物理学研究の状況
 第三節 くりこみ理論と諦めの思想
 第四節 九鬼周造『「いき」の構造』を参考にして
 第五節 くりこみ理論が現代の素粒子物理学において有する意義
 第六節 朝永振一郎博士における「放棄の原理」というフィロソフィーの芽生え
 第七節 統一場理論の歴史的伝統と素粒子物理学にとっての意義
       ――諦めを超越したアインシュタインの探究心を念頭に置いて
第三章 キリスト教の禁欲倫理と近代人、現代人にとっての禁欲の在り方
      としての諦め
       ――マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の
          精神』に即して
 第一節 キリスト教の禁欲倫理と「断念」
 第二節 キリスト教的禁欲とそれに由来する労働責務観
 第三節 禁欲的合理主義
 第四節 カルヴァンの予定の教説としれの倫理観への影響
 第五節 「断念」――近代人、現代人にとっての禁欲の在り方
 第六節 ピュウリタニズムについて――カント倫理学研究との関わりにおいて
第四章 哲学・倫理学の意義についての省察
付章 自著についてのノート
 T 自著自注
 U 自著の修訂 
 

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