近代の〈物神事実〉崇拝について──ならびに「聖像衝突」

ブリュノ・ラトゥール (荒金直人 訳)

装幀:近藤みどり
カバー図版:『ピエタ』、Musee anne de Beaujeu, moulins, XVe siècle, Collection Tudot(アンヌ・ドゥ・ボージュー美術館)
2017年9月15日発売
四六判 上製カバー装 248頁
定価:本体2,600円+税
ISBN 978-4-7531-0342-3

 「事実」とは何か? 「物神」とは何か? そして、なぜ聖像/偶像は破壊されるのか? こうした認識の根本的なテーマをめぐって、本書の著者ブリュノ(ブルーノ)・ラトゥールは、「事実」と「物神」を区別する西洋近代の存在論をフェティシズムにまつわる概念を用いて、批判的に検討する。
 そして、白人宣教師と黒人物神崇拝者の植民地状況下における歴史的な出会いや9.11の貿易センタービルの崩壊といった現代的な出来事を通じて、いかに近代人が「物神」とその「破壊」に囚われていたかを明らかにして、「憎悪と狂信の考古学」を描出する。
 ラトゥールの著作はすでに日本では紹介されているが、本書は難解とされるラトゥールの方法論が簡潔に展開されており、科学論や文化人類学という多面的な読者へのまとまった案内書でもある。


目次

序文
第1部 魔力をもつ対象、事実としての対象
 いかにして近代人は新たに接触する集団のもとに物神を作るのか
 いかにして近代人は自分たちのもとで物神を構築するに至るのか
 いかにして近代人は事実と物神を区別しようと努め、しかしそれに成功しないのか
 いかにして事実と物神は近代人のもとでさえその効力を混ぜ合わせるのか
 いかにして「物神事実」の技量は理論から逃れるのか
 いかにして反物神崇拝者を描写するのか
 いかにして近代人の分裂した物神事実を描くのか
第2部 転移的恐怖
 いかにして郊外の移民を利用して密輸の崇拝物を入手するのか
 いかにして内在性と外在性なしで済ませるのか
 いかにして数は物の「仕様書」を作成するのか
 いかにして恐怖を転移するのか
 いかにして「出来事に超過された」行為を理解するのか
結論
聖像衝突
 典型的な聖像衝突
 なぜ像はこれほどの情熱を掻き立てるのか
 聖像破壊についての展覧会
 宗教、科学、芸術――三つの異なる像制作の様式
 どの対象を選択すべきか
 聖像破壊的な所作の分類
 像論争の彼方へ――像の契機
 『聖像衝突』の付録(カタログの目次)

〖訳者解題〗 超越の制作


著者

ブリュノ・ラトゥール (Bruno Latour)​
1947年生まれ。哲学者・人類学者。パリ政治学院(Sciences Po.)教授。
主な著書
『科学が作られているとき――人類学的考察』(川崎勝・高田紀代志訳、産業図書、1999年)
『科学論の実在――パンドラの希望』(川崎勝・平川秀幸訳、産業図書、2007年)
『虚構の「近代」――科学人類学は警告する』(川村久美子訳、新評論、2008年)
『法が作られているとき――近代行政裁判の人類学的考察』(堀口真司訳、水声社、2017年)など。

訳者

荒金 直人 (あらかね なおと)
1969年生まれ。慶應義塾大学理工学部准教授。2003年、ニース・ソフィア・アンティポリス大学(フランス)文学・芸術・人文科学部哲学専攻博士課程修了、博士号(哲学)取得。
著書
『写真の存在論――ロラン・バルト『明るい部屋』の思想』(慶應義塾大学出版局)
訳書
 ジャック・デリダ『フッサール哲学における発生の問題』(共訳、みすず書房)
 ジャック・デリダ『獣と主権者II』(共訳、白水社)などがある。