マニュエル・ヤン

『バビロンの路上で』

立ち読み(2)

 2024年6月、マニュエル・ヤン『バビロンの路上で――律法に抗う散歩者の夢想』が小社より刊行された。先日「立ち読み」として公開された1章に続き、ここでは本書の20章を公開する。

 やはり先日、小社HPでは人類学者デヴィッド・グレーバーのエッセイ「敵対的インテリジェンス――ヨルダン川西岸地区訪問記」を公開した。同記事をお読みいただければわかるとおり、グレーバーの鋭い観察眼と分析はいつも読み手を惹きつける。では、わたしたちはその仕事をいかに引き継ぐべきか。

 2020年のグレーバー逝去の報を受けて書かれた追悼文ともいうべき本章は、同時に、追悼するとはどのような営みかということを根源的に問いかける。知性とは、特定個人の名のもとで語られ、その人物に排他的に帰属するものなのか。追悼を、そのような知性のあり方の追認に留めてよいのか。詳しくは以下の本文をお読みいただきたいが、この重要な問題提起は本書の厚い議論の一部をなすにすぎないという点は、ここで強調しておきたい。ぜひ本書を手に取り、その全体像を体感していただければ幸いである。

 


 

 20.アナキスト人類学者と大衆の死

 アナキスト人類学者デヴィッド・グレーバーが2020年9月2日にヴェネツィアで死んだ。享年59歳。彼に直接会う機会はなかったが、行く先々でよく彼の名前を聞いた。2011年に初めて韓国の研究共同体スユノモを訪れると、わたしがアメリカ人だと知った社会学者・李珍景(イ・ジンギョン)に「グレーバーに会ったか」とすぐたずねられた。スユノモに案内してくれた、李珍景の『無謀なるものたちの共同体――コミューン主義の方へ』(インパクト出版会、2017年)の日本語訳を手がけたイママサ・ハジメは、一日中グレーバーと息をつく暇もなく喋った思い出を楽しそうに語っていた。そして、グレーバーが沖縄を訪れた際に、初対面の学生活動家に向かって一生懸命に早口で語ったというエピソードをその場にいた学生の一人から聞いた。

 グレーバーの存在を初めて知ったのは、ピーター・ラインボーに『アナーキスト人類学のための断章』(Fragments of an Anarchist Anthropology, 高祖岩三郎訳、以文社、2006年)の原書を彼の家で手わたされたときだ。おそらくこの小さなポケットサイズの本が出版された2004年頃だった。大学院生のグレーバーがマダガスカルで行ったフィールドワークの観察を巧みに抽出し、常識的で日常的なアナキズムの原則と方法を明快に綴る文体に感心した。同時に「アナーキスト人類学」という名称に少し引っかかった。アナキズムを人類学その他の学問分野に還元したり、すり合わせたりするのは、学問分野を形成する制度的権力、ヒエラルキー、国家/企業の統治の根本的な解体を目指すアナキズムの精神とは相容れないのではないかと思ったからだ。もちろん、諸個人のアナキストは世界的な人類学者や歴史家や文学者になりうるし、著作を通じてアナキズムの普遍的な側面を伝えるのも可能だが、中国人やフランス人やエチオピア人のアイデンティティが自動的に優れた料理人を意味しないように、アナキズムや保守やキリスト教に依拠しても書いたものや研究の質は保証されない。

 しかし、価値、負債、アクティビズム、官僚制、労働をめぐってわたしたちがあたりまえだと信じて疑わない一連の前提を次々とラディカルにひっくり返すグレーバーのその後の仕事を追っていくと、彼が「アナーキスト人類学」という独自の新しい分野の確立に大して興味を持っている様子はなかった。むしろアカデミズムの陣とり合戦には無関心で、その領域に収まらない仕事や政治活動であまりにも有名になってしまい、逆にアメリカの大学関係者から煙たがられ村八分にされた。

 1998年にイェール大学で助教のポストを得たグレーバーの契約更新の打ち切りをめぐるいざこざは、人類学の第一人者たちをはじめとする4500人が大学当局の決定に抗議する署名運動にまで発展した。彼が雇い止めになった理由は、大学院生の組合運動に加勢したからだとか、授業に遅刻したり報告書の提出が遅かったりするなど大学業務が怠慢だったからだとか、ネオリベ資本主義に異議をとなえる直接行動の運動における活躍がめざましくなったからだとか、さまざまな理由が推測された。結局、グレーバーはイェール大学を去り、他のアメリカの大学に何度も応募するが、アメリカでは再び大学職につけなかった。イェール大学に勤めてから3年目にもらったサバティカルのあいだに再び運動にコミットし逮捕された直後に大学に戻ると、同僚の一部は彼と口をきくのも拒んだとグレーバーが回想しているとおり、彼の就職難には「政治的」理由が何かしら絡んでいただろう。だが、それは彼がアナキストであったからだとか、反体制運動にコミットしていたからだという単純なイデオロギー的反発だけではなく、アカデミック・ポリティックス上の人間関係の調整に長けていなかった、平たく言えば空気を読まない人物だったという事実も含む広義の「政治的」理由として理解されるべきだ。

 グレーバーとは逆の例として、労働者自身の観点からアメリカの「新しい労働史」を開拓した歴史家デヴィッド・モントゴメリーがいる。モントゴメリーは1950年代の反共時代にアメリカ共産党に入党し、ミネソタ州セイントポールで機械工の労働活動家としてFBIに目をつけられたが、ピッツバーグ大学で教員を務めたあとにイェール大学に常勤として招聘されている。イェール大学の事務員の組合闘争を支持する教員の連帯行動を組織したり、大学付近のコルト・ファイヤーアームズ社の労働者がストを打つとピケラインに参加したりして政治活動を止めなかった。だが、グレーバーと決定的に違って、彼はすでにテニュアを得た労働史の泰斗だった。グレーバーの場合、キャリアの浅い、テニュアトラックの条件が満たされる以前の任期付教員という脆弱な立場に置かれていた。そこで運動に活発に関わり知名度が高まったせいで、学部の保守的な上級教員の反感をおそらく買った。64年にやはりイェール大学で雇われたクェーカー教徒の歴史家ストートン・リンドは優秀な若手研究者として知られていたが、公民権運動そしてベトナム反戦運動の先頭に立ち「新左翼(ニューレフト)の長老」とマスコミに大々的に呼ばれ、反共冷戦リベラリズムを標榜する歴史学部の「ビッグ・スリー」の上級教員であるC・ヴァン・ウッドワード、エドマンド・モーガン、ジョン・モートン・ブラムにおそらく睨まれ、テニュアを否定される結果になった。

 いずれにしろ、イェール大学教員時代のグレーバーの単著『価値論――人類学からの総合的視座の構築』(Toward an Anthropological Theory of Value: The False Coin of Our Own Dreams, 藤倉達郎訳、以文社、2022年)だけをもとに判断しても、彼が人類学の枠組みでは収まらない広範囲の領域を横断し独創的な見識を持つ、ずば抜けて稀有な研究者/思想家なのがじゅうぶんにうかがえる。ここでいう「独創的」という言葉は、今まで存在しなかったものを新たに創造するという意味ではない。既存の知識や実践を異なった観点からずれて見直し、それらの前提とされる一般的な常識や支配的なイデオロギーをくつがえすという意味だ。

 本書はマルセル・モースの贈与論を再評価し、それをマルクスの疎外論に匹敵する普遍的な社会原理に拡張した。カネが人を支配し、消費や生存のために労働規律を強制し、命令する人と命令される人のヒエラルキーで構成された近代資本主義社会とは裏腹に、先住民や狩猟採集社会の生活では見返りを求めない贈与、相互扶助、日常的なデモクラシーやコミュニズムが現実のあらゆる場面で実践されてきたというテーゼは、グレーバー自身繰り返し強調するように、目新しいものではない。彼は(アンドレー・グルバチッチとの共著の解説を書いた新版の)クロポトキン『相互扶助論』や(彼がシカゴ大学で師事し王権論の大著を共同で執筆した)マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』といった古典が切り開いた研究をより壮大に拡げ、一般に「社会理論」として受容される概念や思想に太刀打ちできる理論的普遍性を構築した。彼がその後上梓するすべての著作では、このモース的コミュニズムの実践とそれにともなう人間の自由で自発的な創造性のほうが、現存する官僚制的負債資本主義の社会よりも圧倒的に歴史が長く、そうしたコミュニズムや創造性なしでは反体制運動を組織できないばかりか、運動が対抗する資本主義を含むすべての抑圧的社会さえも成立しないと実証した。

 スペイン戦争の義勇兵だった父と繊維労働者だった母を持つグレーバーは、絵に描いたようなニューヨークのユダヤ系左翼労働者階級の出身であり、徹底して世俗的であったが、贈与経済を説明するうえで宗教に内在する反資本主義的ラディカリズムをよく引き合いに出した。例えば、『価値論』でとりあげたキリスト教的贈与概念は『負債論――貨幣と暴力の5000 年』(Debt: The First 5000 Years, 酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、2016年)でより深く歴史的に掘りさげられている。神がイエスという人間の形をとって十字架に磔にされて人類の罪を贖ったというキリスト教の中心にある教義を、古代ユダヤ人の慣習である「ヨベル」(周期的に奴隷を解放し、私有地を分配し、負債を帳消しにする「大赦」)と接続し、負債制度を無条件で廃止するラディカルな神学概念としてとらえなおすくだりは説得力があるばかりでなく、わたしのように幼い頃から聖書に慣れ親しんでいる者でさえハッとする明晰なロジックが提示されている。

メソポタミアにおいてと同様に、聖書においても、「自由(freedom)」とは、なによりもまず負債の影響からの解放を意味するようになった。時間がたつにつれ、ユダヤ人の歴史そのものが、この観点から解釈されるようになる。エジプトにおける拘束状態からの解放は、神による贖い/救済なるものの最初の範例となるふるまいであった。ユダヤ人の歴史的苦難(敗戦、征服、国外追放)は、ついに救済者の到来によって最終的に贖い/救済されるべき逆境とみなされるようになる。しかしこれは、エレミアなどの預言者たちが警告したように、ユダヤの民が、みずからの罪業(たがいを隷属状態におとしいれること、邪神にかしずくこと、戒律にそむくこと)を心から悔いたあとで初めて達成されるはずのものだった。この観点からすると、キリスト教信者たちがこの思想を採用したことは少しもおどろくにあたらない。贖い/救済とは、個人の罪業(sin)と罪責性(guilt)の重責からの解放であり、歴史の終焉とは、天使のラッパの大音響が最終的な大赦(Jubilee)を告知するとともに、すべてが白紙に戻され、あらゆる負債が免除される瞬間のこととなる1

 こうしたさりげない再解釈の仕方が興味深いのは、民衆に無関心を植えつける精神の「アヘン」、あるいは既存の権力を正当化する支配のイデオロギーとして宗教をみなす、ありきたりな宗教批判を回避しているところだ。グレーバーはそうした宗教の反動的役割を熟知していたし、そうした矛盾を指摘するのに事欠かなかったが、古今東西の歴史的事例を博覧強記に組み合わせて力点を置いたのは、あくまでも宗教、慣習、儀式、生活様式に内在する解放の可能性のほうであった。そういった意味では、彼は「知性のオプティミズム」を体現するもっとも偉大な現存する思想家だったとみなしても差し支えないだろう。

 わたしはグレーバーを読むたびに彼の意表をつく概念や事象のつなげ方や発想に感服し、ほとんど同意したが、何かを根本的に新しく学んだ驚きは正直なかった。むしろ彼が書いたものに対してある種の既視感が常につきまとっていた。本人が意識するイデオロギーや思想と関係なく、疎外から逃走し自由を求めて学校や仕事をサボったり、趣味やネットゲームやレジャーを通じて自発的で平等な関係を結んだりする些細な行動によって、資本主義社会のすみずみにまで階級闘争やコミュニズムの種子が散種されていることをわたしに初めて教えて衝撃を与えたのは、テキサス大学で教鞭を執っていた自律マルキシスト経済学者ハリー・クリーヴァーだった。

 1990年代半ば当時、メキシコ深南部のチアパスでは先住民が冷戦後の世界資本主義に宣戦布告するサパティスタ闘争を開始していた。北米でサパティスタの支援活動に従事していたクリーヴァーを通じて彼らが世界の僻地から展開していた革命的草の根民主主義の実践を知り、クリーヴァーの言う階級闘争がこうやって現実においてあらわれるのかと心震え、内なるラディカリズムの種子が芽生えた。クリーヴァーの講義には歴史、神学、哲学、文学、映画、ポピュラー・ミュージックなどの幅広い分野からの面白い事例がふんだんに散りばめられ、否応なしに労働を人間に強いる資本主義の本質的機能と、それに対して絶えまなく抵抗し、そうした搾取の世界から自由で創造的な自律空間や自己活動を作り出す終わりなき闘争が巧みに説明された。同じ授業を繰り返し受けても毎回新しい発見と知的興奮を引き起こすクリーヴァーの語り口にいつのまにかとりこになり、多くの著名な思想家や研究者と比べても遜色ない彼の仕事がより広く知られていないのはなぜかとよく疑問に思い、講義の内容を本にまとめて出版しないのはとても惜しく感じた。

 金融資本が牛耳るネオリベ資本主義のもとで「社会的価値」がない「クソどうでもいい」労働が過剰に産出されているというグレーバーの『ブルシット・ジョブ』(Bullshit Jobs: A Theory, 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、岩波書店、2020年)の主張をよりラディカルな形で(資本主義の秩序を作っている労働そのものを廃止しなければならないと)わたしに教えてくれたのもやはりクリーヴァーだったのを想起すると、なおさらそうした感慨がわき起こる。わたしがここで強調したいのは、グレーバーの仕事に独創性が欠けているということではない。その独創性が(クリーヴァー、マルクス、クロポトキン、モース同様)彼独自のものではなく、多くの運動や民衆闘争のラディカリズムの伝統に連なり、その伝統がわたしたちのものだという民衆史の常識だ。

 そういった意味でもグレーバーの死にまつわるSNSコメントや追悼記事でもっとも違和感を覚えたのは、彼を不世出のアクティヴィスト研究者として賛美し、彼の著作が数百年後も読まれる古典になるだろうと予測するたぐいのものだった。それを書いたのがアナキストやラディカルを自称する人物である場合はとくに納得できなかった。個人の偉大性をたてまつるヒエラルキー、そして作者や研究者の業績を共有の営為の産物としてではなく、私物化された貢献として扱う資本主義の歪んだ文化を拒絶するのがラディカルでアナキスト的な共通認識であるはずだ。グレーバーの思想や業績とそれらを可能にした彼自身の特異な資質もまた、ラディカルな研究と知識と実践の伝統によって養われたものであり、どれだけ彼の死を悼んでいるとしても、それを展開し完成させるのはわたしたち自身に要求されていると言うべきではないか。少なくともわたしには、グレーバー個人の天才を称賛する言辞は彼の思想的遺産に対する侮辱にさえ思えた。偉大なラディカル活動家/学者のイコンにされ、現代における「もっとも重要なアナキスト、人類学者」などと呼ばれ、彼自身が対抗してきた「偉人史観」に組みこまれ比類なき偉人のミイラとして展示される皮肉を彼は果たして望んだだろうか。こうした一連の疑問が生じたのは、おそらくグレーバーの死を知人として追悼できなかったからだ。彼の人となりは共通の友人知人の一部から聞かされていたが、彼に関するわたし自身の知識や印象は著作や映像だけにもとづいている。

 わたしを悲嘆に暮れさせた死は2019年9月に亡くなった親友アル・ケイブの死であり、わたしにより大きいショックを与えた死は20年3月に亡くなった同世代の同僚と友人の連れ合いの死だった。死者を個人的に知っている度合いだけ死は実存的な意味を持つ。それは当然だ。そして、グレーバーの死を知ったのは、17歳の白人カイル・リッテンハウスがウィスコンシン州ケノーシャでブラック・ライヴズ・マターの警察暴力反対デモの参加者であるジョセフ・ローゼンバウム(36歳)とアンソニー・ヒューバー(26歳)を射殺した矢先であり、個人的に何も知らないまさに無名の大衆であるこの2人の男の死のほうがはるかに悲劇的で不正なものに感じられた。もちろん、これらの死のいずれかがより大事だと言っているのでは決してない。ただ、たまたま有名であるがゆえに、より多くの人たちがその死を追悼するという不平等な構造が、死者のあいだにさえ優劣を作り出す既存社会の倒錯性を反映し、そうした不公平な構造と包括的に闘った思想家の1人がその構造にとりこまれていく不条理を指摘しているだけだ。

 したがって、グレーバーを「「知性のオプティミズム」を体現するもっとも偉大な現存する思想家」と呼んだのは誤解を招く表現だったかもしれない。それは吉本隆明がかつてミシェル・フーコーの死について「現存する世界最大の思想家の死であった」と評した言葉を模倣したものだが、吉本が「市井の片隅で生き死にする無数の大衆」と「千年に一度しかあらわれない巨匠」であるマルクスを等しい存在として対置する有名な箇所のほうがグレーバーにはふさわしく思える。

市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである(…)市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちがかんがえているよりもずっと怖ろしいことである2

 この「怖ろしさ」を理解しないで素どおりすればするだけ、わたしたちが口にするデモクラシー、平等、自由、連帯といった言葉はもちろん、アナキズムやラディカリズムやアガペーの言葉も無意味になってしまう。わたしはグレーバーを「千年に一度しかあらわれない巨匠」とは考えない。「巨匠」を作り出すのはわたしたちの諸勢力である。そうした大衆の創造力を全力で解き明かす作業に生涯を捧げた人物そして一生出会えなかった同志に対する恩義は、巨匠と大衆を本質的に反転させる異なった考え方と行動をわたしたちに求める。

 グレーバーの著作を紹介してくれたピーター・ラインボーに上記の文章を英訳して送ると、彼からメールの返信があり、その一部にはこう書かれていた。

デヴィッドについてあなたがF/S〔『福音と世界』〕に掲載した記事に感謝します。また読みますね。『負債論』は読みましたが、正直、それほど彼の著作には詳しくありません。わたしは彼によりプロレタリア的な階級闘争概念をいつも求めていました。つまり、「労働者階級はどうなんだ?」ということです。ときどきでいいから、彼が物事を底辺から見て、それがどう歴史的変化のダイナミズムを説明しているかを示してくれていれば、満足したでしょう。イギリス人がよく言うように、彼は「頭の良いガキ」でした。「頭が良すぎた」ようです。イアン〔・ボール――技術/技法(テクニック)とコモンズを専門とするアイリッシュ系アナキスト社会史家〕は明らかなことを指摘しました、彼は実物よりも印刷物のほうが優れていたと。

 グレーバー自身も生前参加した、ニューヨークのアーティスト/アクティヴィスト集団「16ビーバー・ストリート」が主催するオンライン集会に招かれた際に、ピーターがグレーバーについて何か一言話してくれと頼まれて作成した文章がメールには添付されていた。

デヴィッドは世界と未来が見える窓を開けてくれた。爽やかな風を窓の中に招き入れて、歴史のクモの巣とイエダニを吹き飛ばした。言説をひっくり返した。カネの言説や進歩の言説をひっくり返した。過去幾千年もさかのぼって、それをなんとかやってのけた。いつか彼が「底辺からの歴史」をやってくれないかとわたしは願っていた。
スウェーデンからの友人は、海賊についてデヴィッドが書いたテキストを引用している。Pourquoi ne considère-t-on pas Kondiaronk comme un important théoricien de la liberté humaine? (「なぜコンディアロンクは人間の自由を扱う重要な理論家とみなされていないのか?」)確かにそうだ、でもコンディアロンクとはいったい何者か? 現在のミシガン州、とくに亀の島(タートル・アイランド)〔先住民による北アメリカの名称〕の三大湖が合流するミチリマキナックに住んでいたヒューロン族の人びとの酋長だ。立っているところを掘れというアドバイスにしたがおう。化学物質で永久的に汚染されているヒューロン川沿いのミシガン州にわたしは住んでいる。フランスの総督が文明をもたらすと主張したとき、コンディアロンクは反論した。それはちがう、ヨーロッパ人は終わりのない不幸をもたらしたと答えた。
コンディアロンクがモントリオールで大和平条約を結んだあとの1701年に亡くなると、「再胎動(リクイックニング)」という葬儀の一部が執り行われた。「胎動(クイックニング)」とは、もちろん、母親が妊娠を感じる段階のことだ。したがって、「再胎動(リクイックニング)」は人生の終わりに共同体(コミュニティ)を再生する何かを意味する。それは、涙を拭き去る、耳を澄ます、喉をとおらせるという三つの稀有な言葉あるいは概念から成り立っている。わたしたちの集会はそうした「再胎動(リクイックニング)」に似ている――ともに嘆き、お互いに耳を傾け、話し合っている。
デヴィッドは教えるのをやめない。

2020年9月


  1. デヴィッド・グレーバー『負債論――貨幣と暴力の5000年』酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳(以文社、2016年)、123頁。 ↩︎
  2. 『吉本隆明全集9 1964-1968』(晶文社、2015年)、66頁。 ↩︎

著者紹介

マニュエル・ヤン (Manuel Yang)

1974年ブラジル・サンパウロ州カンピーナス生まれ。神戸、ロサンゼルス、台中、ダラスで少年時代を過ごし、テキサス大学オースティン校(歴史学/英米文学専攻)を卒業。トレド大学歴史学部で修士・博士課程修了。現在、日本女子大学人間社会学部現代社会学科教員。専門は歴史社会学、民衆史。アメリカと環太平洋/大西洋の歴史を階級闘争の観点から研究。著書『黙示のエチュード――歴史的想像力の再生のために』(新評論)、共著『ヒップホップ・アナムネーシス――ラップ・ミュージックの救済』(山下壮起・二木信編、新教出版社)など。