Contents 更新のお知らせ(2020/8/3)
約1ヶ月ぶりのContentsの更新となります。
今回の記事は、先月末についに日本版のDVDが発売となり(また動画配信も開始された)アカデミー賞作品賞とカンヌの最高賞を同時受賞した韓国映画『パラサイト』、この「紛れもない傑作」について、こちらも先月末に世界的なベストセラーである『ブルシット・ジョブ』の日本語版が刊行され大きな反響を呼んでいるデヴィッド・グレーバーがパートナーのニカ・ドゥブロフスキーとともに論じた、大変タイムリーで読み応えのある「映画批評」となります。
個人的に『パラサイト』という非常に優れた映画作品を観たあとに残った違和感として、前半に邸宅の住人を見事なまでに騙し続ける用意周到な一家と、後半にその策略(の成功)を自ら無下にしてしまうその一家が、到底同じ一家に感じられない、ということでした。そこに「ストーリーありき?」と若干の違和を感じたわけですが、グレーバーとドゥブロフスキーは、この一家(を含めた登場人物たち)が成れ果てて行く姿を「神学的」と名指した上で、「こうしてこの作品では、誰も――登場人物はもちろん、たぶんわたしたち人間は誰も――、特定の空間構造のなかに住うことで自分の内側にすでに構築されてしまった役割から、逃れ去ることはできないのだということが、示唆されるに至る。誰かを天国に、別の誰かを地獄に置くのもまた、この空間構造である」とし、その「神の位置を占めるのはひとりの建築家」であると分析します。
訳者の片岡さんも指摘されるように「登場人物に自律的な――構造から相対的に独立の――行動の余地をまったく残していない」という点、このことは「民族であれ階級であれ帰属を越えた人間的なものの一般性に対する信頼」(訳者のツイッター[7月31日の投稿]から拝借)を自らの理論の基礎に置くグレーバーにとってはやはり看過できないもの、ということになるのでしょう(グレーバーとドゥブロフスキーが、「神の位置を占める」とした建築家を、「「人間性」と言えるような何かを持ち合わせていると主張することが許される唯一の人物」と書いているのも、なかなか見逃し難い一言である気がします)。
いずれにしましても、映画『パラサイト』が傑作であることに変わりはありません。より多くの方に観ていただければと思います。映画のスチールを提供してくださった(株)バップ様に御礼申し上げます。
そして、今回もまた、日本語への訳出を快諾してくれたD・グレーバーとN・ドゥブロフスキー、そして『パラサイト』の海外版のDVDを取り寄せた上で(本論を補足するために)パッケージの写真の提供までしてくださった片岡大右氏に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。