ふたたび都市を争点とするために
「惑星都市理論」についての注解
第1回
平田周 × 仙波希望
本記事は2021年5月29日に代官山蔦屋書店主催のもと行なわれたオンライントークイベント「『惑星都市理論』刊行記念――惑星都市とはなにか」をまとめたものである。ゲストとして出演してくださった三重大学の北川眞也氏(第2回)、東京大学大学院博士課程に在籍する林凌氏(第3回)に感謝申し上げたい。また、本イベントを主催してくださった代官山蔦屋書店さま、本企画をご提案いただき本書のブックフェアまで展開してくださった同店の宮台由美子氏、そして当日オンラインでのイベントを運営してくださった同店の吉見侑悦氏に厚く御礼申し上げる。
平田周/仙波希望/以文社編集部
『惑星都市理論』誕生のきっかけ
仙波 『惑星都市理論』の編者の仙波希望と申します。私はまだ自分が何を専門としているかいまいち曖昧なのですが、プロフィールなどを求められる機会があれば、「都市研究/カルチュラルスタディーズ」の専門、と書かせていただいております。
平田 同じく編者の平田周と申します。専門は「思想史」や「フランス現代哲学」といった分野になります。
仙波 最近は大学もオンライン授業ばかりになって、ともすれば画面の向こう側で誰も聞いていないのでは? という不安を常に抱えながら話を進める環境が当たり前になりつつあります。今日はそうした日々の不安がフラッシュバックしないよう(笑)、なんとかやっていきたいという意気込みです。
さて、私たちが編者として出版した『惑星都市理論』の刊行記念イベントということで、本書の中身を少しでも皆さんにお伝えできるよう、「惑星」だとか「都市」だとか「理論」だとか、一見訳がわからない言葉の並びに思えるかもしれないこの論集について、できるだけ噛み砕いてご案内できれば、と考えています。
平田 そうですね。もともと本書は、なかで大きく依拠している「プラネタリー・アーバニゼーション研究(Study of Planetary Urbanization)」に関連したタイトルをつける予定でした。しかしそのままだと、ちょっと長い。なので、字面なんかを考慮しつつ少し遊ぶようなかたちで「惑星都市理論」にしよう、となりました。
敢えて翻訳上のレベルでズラすことで、英語圏の新しい議論を紹介するだけにとどまらず、一度咀嚼した上で、「序文」[「プラネタリー・アーバニゼーション研究をひらく」]で書いたようなパースペクティヴのもとにこの研究を理論的対象として位置づけることが可能になったように思います。
いずれにせよ、このプラネタリー・アーバニゼーションという新しい都市研究の視座は、だいたい2013年頃に出てきて、日本ではまだそれほどは知られていませんが、ニール・ブレナーとクリスチャン・シュミットという人が中心になって立ち上げたものです。私はもともとフランスのアンリ・ルフェーヴル(1901-1991)という都市理論家の研究をしていたのですが、ブレナーやシュミットもこのルフェーヴルの議論を発展させようと試みている都市研究者です。厳密には私の研究領域とは異なりますが、同じルフェーヴル研究者ということもあり、彼らの論文を当時から興味深く読んでいました。
その頃にちょうど仙波さんから「都市研究の観点から近年の海外の理論動向ってどうなっているのだろう?」という話を振られ、いくつかある研究の一つとしてこの理論を紹介したのが、今回の論集が編まれた最初のきっかけでしたね。
もちろん、海外ではジェントリフィケーション研究だとか、本書でも大きく扱っているポストコロニアル都市理論、あるいは「関係論的展開」と呼ばれる都市論の動向を担う一派というように、さまざまな潮流があります。
だったら、たとえばニール・スミスの『ジェントリフィケーションと報復都市』(ミネルヴァ書房、2014年)を日本語に訳された原口剛さん、あるいはアントニオ・ネグリらのアウトノミアの議論を参照しながら地理学の研究をされている北川眞也さんをはじめ、荒又美陽さんや大城直樹さんといった本書に参加してくださった海外の都市研究の動向に詳しい方々に声をかけ、研究プロジェクトを立ち上げればいいじゃないか、と。
そして、プラネタリー・アーバニゼーション研究を軸に、数多ある海外の都市研究の潮流を総合的に考えてみようという共同研究を、2017年に開始しました。
仙波 そのあたりの話は本書の「あとがきにかえて」でも書かせていただきましたが、その共同研究の前身として、2015年に始まった勉強会がありましたよね。
フランス留学から帰って来られたばかりの平田さんに私が声をかけ、そこでスペイン出身の都市社会学者であるマニュエル・カステルが書いた『都市とグラスルーツ』(石川淳志監訳、法政大学出版局、1997年)という非常に分厚い本を原書と訳書を並べながら読解していました。
その勉強会に、本書にも書いていただいた渡邉隼さんや馬渡玲欧さん、林凌さんも参加してくれたわけですが、その頃から「いまの都市理論とは何なのか?」というシンプルで臆面もない問いを(少なくとも私は)抱えていたのです。
それぞれが自分の研究フィールド、自分自身が調査研究している場所をいかに説明できるのか。土地、地域、空間といったものと関わるような現在の理論を模索していたなかで、一つの最大公約数(という言い方が正しいのかどうかはまだ分からないのですが)として、いま平田さんからお話があったプラネタリー・アーバニゼーション研究にスポットが当たったわけです。
なぜ「惑星」の「都市」の「理論」でなければならないか
──「プラネタリー・アーバニゼーション」をめぐって(1)
仙波 当時から現在に至るまで私たちはどんな議論をしてきたのか、またどういった論点を私たちが鍵になると考えているのか、といった話をここから展開できればと思うのですが、まず端的に、なぜ「惑星」の「都市」の「理論」でなければならないのか? ということですね。
もちろんプラネタリー・アーバニゼーション研究とは斯々然々(かくかくしかじか)であるという揺るぎない定義があるわけでもないのですが、この研究を理解するためのいくつかのポイントをあげることはできます。
平田 一般的に「都市論」というとき、たとえばブラタモリ的な街歩きというか、ある区切られた範囲の街あるいは具体的な場所に根差したかたちで都市を論じることがほぼ前提とされていると思います。プラネタリー・アーバニゼーション研究のエッセンスとしてまず挙げられるのは、ある都市を研究することがそのまま世界、そして地球そのものにまで広がりを持った研究になりうるということで、それは日本語に敢えて訳した「惑星都市理論」にも通底している問題意識ですね。
あらためて「なぜ理論か」ということにお答えするとすれば、テオリアというギリシア語の原義に照らして、惑星スケールで物事が連関し組織され展開する場所として都市を「見る」試み、とひとまずは言えるのではないでしょうか。
仙波 ポール・オースターの映画で『スモーク』(1995)という作品がありますが、その主人公が煙草屋さんで、ブルックリンの一角の写真を毎日同じ場所で同じ時間に10年以上撮り続けている。これまでの一般的な都市の見方というものは、その画角の中に何が写っているかを浮かび上がらせる試みとしてあったとも言えます(それも重要であるのは間違いありません)。
その一方で、そこに写らないもの、いや、むしろ写っている者/モノがどういったフローのなかでそこに現れたのか、といったことを考えようというのがプラネタリー・アーバニゼーション研究のポイントなんですよね。それらがどういう経路でそこに現れ、そこを横切っていったのか。エネルギーの問題もまさにこの点につながると思いますが、そうした意味で、たとえひとつの場所からの視点であってもフローの交差点として捉え返さなければならない、と。
言葉としては難しいかもしれませんが、以下のような考え方だとも思います。都市を領域としてではなく、むしろ過程やプロセスとして考えるための方法論やレッスンのようなもの、つまり『進撃の巨人』みたいな壁で区切られた場所のように都市を捉えるのではなく、国家/超国家のスケールをさらに超えてプラネット、まさに惑星として考えていく。なので、そのようなスケールのなかを横断しているさまざまな力学を考えなければならない、と。
平田 プラネタリー・アーバニゼーションという言葉が大々的に用いられたのは、ニール・ブレナーが編纂した『Implosions/Explosions(内破/外破)』(jovis, 2014)という本の副題においてなんですが[副題「プラネタリー・アーバニゼーションに向けて “Towards a Study of Planetary Urbanization”」]、その本の表紙に使われている写真がカナダのアルバータ州にある広大なオイルサンドの産出現場を写したものでした。
オイルサンドから原油を生産する際、それを抽出するにあたって莫大な水を使うことから水資源の枯渇が懸念されており、加えてエネルギー資源に変える過程において汚染物質を周囲の土壌や地下水に垂れ流してもいる。さらに石油抽出のための天然ガスの燃焼による温室効果ガスの排出は、通常の石油生産と比べて3倍にもなると言われている。
もともとアルバータ州は、生態系が非常に豊かで世界でもベスト5に入るくらいの地域なのですが、奥地に進んで行けば行くほど、この表紙写真のような場所が現れてくる。この航空写真を撮影したのはガース・レンズというジャーナリストで、撮影した本人が言っているのですが、まるでジャクソン・ポロックの抽象絵画みたいだと。
仙波 おしゃれなようにも見えてしまう。
平田 そう。一見きれいに見えながらも大規模な環境破壊が行なわれているという点では、非常に凶々しくもある景観です。
このように石油をはじめ、リチウム、チタン、クロム、コバルト、ニッケルなどレアアース[希少金属]に分類される自然資源を大量に採掘しグローバル経済に投下・流通させる開発モデルは、近年広まった批判的用語では「Extractivism(採掘主義)」と呼ばれます[本書所収の北川論文(「惑星都市化、インフラストラクチャー、ロジスティクスをめぐる11の地理的断章」)および『思想』2021年2月号「小特集:採掘-採取 ロジスティクス」もご参照ください]。
こうした資源開発は同時にその資源を世界中の都市に運搬するための大規模なインフラストラクチャーの整備をも必要とします。たとえばオイルサンドの場合は地表の下を通るパイプライン建設がカナダとアメリカの国境を縦断するかたちで計画され、その建設予定地に住む先住民とそれを支援する両国の市民によって反対運動が生じています。
このような現象を前にすると、従来の都市論で想定されているような領域的な区分、地図上の区分に従うだけでは、もはや問題に十分にアプローチできないのではないか。都市でのわれわれの活動を成り立たせるための、都市や国家のスケールを超えて広がるインフラやロジスティクスまでを捉えるためには、より広い視座が必要となるだろう、と。
「高密度の都市化」と「広範囲の都市化」
──「プラネタリー・アーバニゼーション」をめぐって(2)
仙波 そうした視座を概念化・理論化したものとして、ブレナーによる「高密度の都市化(Concentrated Urbanization)」と「広範囲の都市化(Extended Urbanization)」という重要な区分がありますね。
平田 ブレナーは、従来の都市研究が前提としていた都市の現象を「高密度の都市化」と呼びます。たとえばロンドンや東京、ニューヨーク、パリといった場所に人やモノが密集し、諸々の空間的な集積が生じる現象です。
他方で「広範囲の都市化」は、まさにここまで話してきたようなこと、つまり、都市の活動を成り立たせている資源採掘やインフラやロジスティクスまでを含めた「都市化」という現象です。こういった「広範囲の都市化」をブレナーが率いるプラネタリー・アーバニゼーション研究グループは考察対象にしています。
仙波 そして「広範囲の都市化」をより問題提起的に捉えるための出発点もブレナーらは示している。
平田 それが「ヒンターランド(Hinterland[後背地])」と「オペレーショナル・ランドスケープ(operational landscape)」という用語ですが、まさに彼らに特有の都市に対する着眼点ですね。
人口がそれほど集住していないために都市とは見なされてこなかったような「ヒンターランド」は、従来の都市論においてほぼ前提とされていた「都市/非都市」という区分のなかでは当然「非都市」として扱われるわけですが、現在の惑星規模で進む「都市化」のなかで、ヒンターランドはもはや欠かすことのできない産業インフラの役割を担う場所である。
つまり「都市/非都市」という図式そのものが失効しているのではないか、と。
他方「オペレーショナル・ランドスケープ(operational landscape)」は、さきほどお話したような資本蓄積のために資源を採掘したりインフラ網を整備したりする過程で立ち上がる景観を指します。
「ヒンターランド」と「オペレーショナル・ランドスケープ」は、ブレナーらにおいて、ある種の対概念となって、惑星規模の都市化が進む運動においてそれぞれが大きな役割を記述するものとして用いられている。より詳細な議論は本書所収のブレナー論文[「ヒンターランドの都市化?」]や渡邉隼さんの論文[「都市への権利・非都市への回路」]をご参照いただければと思います。
仙波 少しだけフォローをしますと、「広範囲の都市化」を考えなくてはならないというときに、一方の「高密度の都市化」については今後考えなくてもよいというわけではまったくありません。
コロナ以降、まさに都市の「密」というものがクリティカルな問題になっているわけですが、ブレナーらが言っているのは、都市の「密」のようなものだけを見るのではなく、それを成り立たせているフローやプロセス、それらを把握しないかぎり「高密度の都市化」の方も理解はできないのではないか、ということです。
であるがゆえに、「高密度の都市化」と「広範囲の都市化」の双方の視点から都市を捉えることが重要になってくる。
これまでの都市研究の多くは都市という領域に限定された地図を前提にして、つまり縦と横そして円――同心円地帯理論というものもありますが――で都市を捉える方法論が支配的でした。それに対して、ブレナーらの試みは、もっと大きなスケールの地図――都市のみならず、国家、国家横断的[トランスナショナルな]地域、果ては惑星といった地図――を重ね合わせ、そうした重層的なスケールで都市を捉え直していくわけですね。
先ほど、インフラとロジスティクスについての言及がありましたが、COVID-19によるパンデミックのなかでどうにか都市生活を成り立たせようとする私たちは、まさにこの両者の問題に直面しています。
ロジスティクスというのは一般的に「物流」と訳されますが、もともとは「兵站」という意味でした。兵站とは、軍の活動において前線部隊へ人や兵器、食料などを送り込みその備給を担う領域のことです。つまり、戦時においては(もしかすると戦時でなくても)止めることを決して許されない領域です。
一方で、ここ数ヶ月で私たちは唐突に「人流」という言葉に出会ったわけですが、この「人流」もまた容易に止めることはできない。この場合、もちろん「人流」をコントロールしようとする主体が何かによって問題が変わってくるとはいえ、いずれにしても、インフラとロジスティクスという問題に今まさに私たちがコロナ禍で直面していることを思えば、「惑星都市理論」や「プラネタリー・アーバニゼーション」などと、大風呂敷を広げたように映るかもしれないこうした理論を多少は身近に感じていただけるのではないかと思います。
(第2回に続く)
著者紹介
平田周(ひらた しゅう)
1981 年生まれ.思想史.パリ第8 大学博士課程修了.博士(哲学).日本学術振興会特別研究員(PD)を経て,南山大学外国語学部フランス学科准教授.主な論文に「なぜ空間の生産がいまだに問題なのか」.(『現代思想』第45 巻18 号,青土社,2017)
仙波希望(せんば のぞむ)
1987 年生まれ.都市研究,カルチュラル・スタディーズ.博士(学術).広島文教大学人間科学部専任講師.主な著書に『忘却の記憶』(共著,月曜社,
2018)など.