全−生活論──転形期の公共空間
篠原雅武
生活をするとはどういうことか?
いま私たちの生活はなぜ危機に直面しているといえるのか?
90年代以降の「公共性論」の行き詰まりの原因を鮮やかに分析し、ドゥルーズ=ガタリやアガンベンらの思想をもって1970年代の日本の民衆/生活運動に遡り、それらの運動の核心から私たちの生活を再創出する道を掴む。
いつのまにか〈痛み〉を言葉にすることをやめてしまった私たちは、いまどのような状況にあり、そして、その隠した〈痛み〉はどのようにわれわれのもとへと回帰してくるのか?
目次
はじめに
序章 生活の失調
生活への問い
本書の概要
第1章 公共性と生活
公共領域の衰退が問題なのか
監視と放置
「開かれた公共性」の陥穽
抽象化と停滞
アソシエーションと公共性
分子的領域の失調
第2章 装置と例外空間
刺激と無関心
無関心装置
装置と生活様式の変貌
装置の非対称的な配備
例外空間
第3章 誰にも出会えない体制
養育の場の失調
生産性の論理と子殺し
子どもコレクティヴという実験
生産性の論理からの解放
誰にも出会えない体制、抑圧/被抑圧の関係性
痛みと出会い
第4章 開発と棄民
植民地主義という関係形式
高度経済成長と生活破壊
「暗闇の思想」の現代的意義
資本への対抗か、反植民地主義か
棄民化
第5章 生活世界の蘇生のために
失調と事故
権利をもつ権利
消費主義からの覚醒
精神の私有化と破局的状況の深刻化
廃墟に埋もれた未発の未来
生活を織り成す
解きほぐすこと
あとがき
著者
篠原 雅武(しのはら まさたけ)
1975年生。社会哲学、環境学専攻。1999年京都大学総合人間学部卒業。2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。
著書:『空間のために 遍在化するスラム的世界のなかで』(以文社、2011年)
『全-生活論 転形期の公共空間』(以文社、2012年)
『複数性のエコロジー 人間ならざるものの環境哲学』(以文社、2016年)
『人新世の哲学』(人文書院、2018年)など。