撮影術──映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事
大津幸四郎
「映画」と「運動」、戦後日本のすべてがここに!
学生反乱、三里塚、水俣から原発まで、戦後社会運動の現場や世界各地へ赴き、日本ドキュメンタリーの「眼」を担ってきた著者が、その全軌跡を振り返りつつ自作を詳細に分析。独立で映画を志す者に「人間の撮り方」を指南する。
目次
大津幸四郎の軌跡――岩波映画からビデオ撮影まで(1958-2001)
×加藤孝信
大津幸四郎の映画史1 修行時代
対極のドキュメンタリー――小川紳介と土本典昭(1967-1969)
『圧殺の森』『パルチザン前史』×筒井武文
大津幸四郎の映画史2 三里塚から水俣へ
患者さんとヒバクシャ――水俣から福島へ(1969-1971)
『パルチザン前史』『水俣 患者さんとその世界』×鎌仲ひとみ
大津幸四郎の映画史3 水俣での闘い 前篇
語られないものがうかびあがるとき――生活のなかの水俣病(1975)
『医学としての水俣病』三部作 ×鈴木一誌×舩橋淳
キャメラと身体――島を撮る、闘争を撮る(1975)
『不知火海』×丸谷肇
大津幸四郎の映画史4 水俣での闘い 後篇
現場で進歩するキャメラ――テレビ・ドキュメンタリーからガン克服まで(1976-2005)
『ふれあうまち』『三池 終わらない炭鉱の物語』×熊谷博子
大津幸四郎の映画史5 テレビ・ドキュメンタリー 前篇
「核」を撮る――広島、長崎から原発まで(1982-1985)
『幻の全原爆フィルム 日本人の手へ!!』『かよこ桜の咲く日』大津幸四郎
まともに映像化したらつまらない――劇映画を撮る(1983-1989)
『泪橋』『出張』×沖島勲
大津幸四郎の映画史6 テレビ・ドキュメンタリー 後篇
船に乗り人を撮る――ジャン・ユンカーマンとの仕事(1990-2005)
『チョムスキー9.11』『映画 日本国憲法』×ジャン・ユンカーマン
舞踏が生まれて死んでいくまで――大野一雄を撮る(1991-2005)
『魂の風景』『大野一雄 ひとりごとのように』×大野慶人×平野克己
島を撮る――ロシアの監督たちとともに(1993-2000)
『アイランズ島々』『ドルチェ 優しく』×吉増剛造×石坂健治
大津幸四郎の映画史7 南の島、北の海
障害をもつ人たちとともに――佐藤真との仕事(1998-2001)
『まひるのほし』『花子』×代島治彦
大津幸四郎の映画史8 絵画への思い
キャメラには撮れないものがある――人間との距離をめぐって(2008)
『フェンス』×藤原敏史×葛生賢
著者
大津 幸四郎(おおつ こうしろう)
1934年、静岡県に生まれる。1958年静岡大学文理学部法経学科を卒業後、岩波映画製作所に入社。5年間撮影助手として努めるが、PR映画の制作に耐えられず退社。以後フリーランスのキャメラマンとして独立、劇映画からCFまであらゆる撮影をこなしつつ、『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』や成田国際空港反対闘争「三里塚」の小川紳介、「水俣」の土本典昭、彼らの衣鉢を継いだ佐藤真、TVプロデューサーの牛山純一ら日本ドキュメンタリーの旗頭と共闘。広島、長崎、沖縄、三池から原発まで、戦後社会運動のほとんどすべての現場に赴き、また中国、韓国、パレスチナ、東ドイツなどの貴重な時代をキャメラに納める。2005年、自ら撮影・構成した『大野一雄 ひとりごとのように』を発表。現在、三里塚で農業を続けるかつての闘士たちを四十余年ぶりに訪ねて長編ドキュメンタリー『三里塚』(仮題)を撮影中。