「存在の現れ」の政治──水俣病という思想
栗原彬
水俣病の発見から半世紀――。その病の深刻さと汚染の範囲の広がりを見れば、水俣病は、20世紀の権力の病と言われる「ジェノサイド」の一つである。法理から言えば、何よりもチッソと行政の「加害責任」が問わなければならないだろう。しかし、著者はそこにとどまらない。緒方正人やプリモ・レーヴィ、アガンベンらの思考を通し、人間のこととしての水俣病という地平に立ち、加害と被害の別が溶け合った灰色の領域を構成する地点にまで降りていく。この出口なしの八方塞りのグレイゾーンに踏みとどまり、これを内破する身体の運動こそが「新しい人間」としての生を踏み出す。他者を支配する権力位置を離脱して、あるがままの人間として肩を並べて加害と被害のグレイゾーンを突破していく企て:「課題責任」。ここに〈生政治〉を乗り越える可能性がある。
目次
序にかえて――「存在」の訪れを聞く
Ⅰ 「存在の現れ」の政治――水俣病という思想
1.「さまよいの旗」から
2.自己決定の政治
3.代行政治とグレイゾーン
4.あなたが存在してほしい
5.存在の現れの政治
6.「私たち」が変わる
7.「またあしたね」
Ⅱ 水俣病という身体――風景のざわめきの政治学
1.「水俣病がある」風景/Mの身体
2.Mの初原の風景
3.不在の風景
4.「清くさやけき水俣」/煙はこもる町の空
5.植民地朝鮮・興南の風景
6.親密性と公共性の風景
7.苦海・発生の風景
8.政治病の風景
9.市民社会・差別の風景
10.表象の政治
11.水際へ
Ⅲ 市民は政治の地平をどのように生きたか
はじめに――市民的な批判的知性への離陸と着地
1.「市民政治」の形成
2.生活政治の展開
3.「人間の政治」の現れ
4.住民運動・エゴイズムの肯定
5.公共性の逆構造転換
6.環境政治の展開
7.共同性・親密性の政治社会学
8.アソシエーション・生活協同組合
9.ボランティア・市民活動・NPO
10.地球市場化と市民政治
11.新しい親密圏から公共圏を直立させよ
おわりに――響きあう二つのエッジ
Ⅳ 人間の再生と共生へ――水俣病は終わっていない
1.祈りと記憶――水俣・東京展の意味
行政責任ということ
素顔で立つ
水俣病者の本当の声
重層的な繋がり
2.アウシュビッツ、ヒロシマ、ナガサキ、ミナマタ――水俣病公式発見から四〇年
海からのジェノサイド水俣病
人間存在の代替不可能性
「すべての生命の幸福」に立つ――公共性の逆構造転換
3.法理と倫理の新しい関係を求めて――水俣病展に映るもの
魂起こしとしての前夜祭
遺影に見られること
「存在の現れ」の政治――法理と倫理の新しい関係
あとがき
著者
栗原 彬(くりはら あきら)
1936年栃木県生まれ。専攻は政治社会学。1961年東京大学教養学部教養学科国際関係論卒業。1964年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。1969年同博士課程満期退学。立教大学名誉教授。水俣フォーラム代表、日本ボランティア学会代表。
著書:
『やさしさのゆくえ=現代青年論』(筑摩書房、1982年)
『管理社会と民衆理性』(新曜社、1982年)
『歴史とアイデンティティ』(新曜社、1982年)
『政治の詩学』(新曜社、1983年)
『政治のフォークロア』(新曜社、1988年)
『やさしさの存在証明』(新曜社、1989年、1996年増補新装版)
『人生のドラマトゥルギー』(岩波所tン、1994年)
『〈やさしさ〉の闘い』(新曜社、1996年)
編著:
『証言 水俣病』(岩波新書、2000年)ほか。