「魔女の物語──シルヴィア・フェデリーチへのインタビュー」(小田原琳、後藤あゆみ 訳)
イントロダクション
イタリア出身のフェミニスト、シルヴィア・フェデリーチは、その著書『キャリバンと魔女──資本主義に抗する女性の身体』(以文社、2017年)のなかで、魔女殺害を、女性を飼い慣らし、労働力の再生産をまったく報酬のない強制労働として女性に課す、資本主義システムの基礎として考察している。この再生産労働の発展の様相に、フェデリーチは女性運動にとっての闘いの中心を据えているのである。
これはおとぎ話ではないし、魔女にだけ関わるのでもない。魔女は、他の女性たち、魔女と密接に関わっているキャラクターたちへと敷衍される。異端者、治療者、助産師、反抗的な妻、一人で生きようとする女、オービア(秘密の魔術)を操って、主人の食べ物に毒を入れ、奴隷たちを反乱へと駆り立てる女。これらの女性たちを、資本主義はその起源から、憤怒と恐怖をもって攻撃しつづけてきた。
『キャリバンと魔女』においてフェデリーチは、女性を象徴するようなこの形象について、本質的な問いを投げかけている。なぜ資本主義は、その始まりのときから、これらの女性たちに戦争をしかけなければならなかったのか? なぜ魔女狩りは、歴史上記録されているかぎりでもっとも残酷な虐殺の一つなのか? これらの女性たちが火刑に処されたとき、それによってなにが抹消されるべきだと考えられていたのか? 魔女たちとアメリカのプランテーションの黒人奴隷たちを類似しているとみなすことがなぜ可能なのか?
シルヴィア・フェデリーチはイタリアに生まれたが、1960年代から合衆国に住んでいる。彼女のフェミニストとしての闘い、黒人たちの運動との協力は、アメリカ合衆国で育まれた。フェデリーチは「家事労働に賃金を」国際ネットワークの創設者である。80年代にはナイジェリアで暮らし、教鞭をとった。そこでも女性組織と協働し、当時アフリカ全土で試されていた構造調整政策と闘った。
著書のタイトルは、シェイクスピアの二人の登場人物からとられている。キャリバンは植民地主義に対する反乱者、抵抗する奴隷労働者である。そして、シェイクスピアによっては後景にとどめられていた魔女が、舞台をさらう。魔女の消滅は、女性を飼いならし、自律的な出産を支えてきた知を盗みとり、妊娠と出産を強制労働に変え、再生産労働の価値を労働ならざるものへと切り下げ、共同体が所有してきた土地の接収に直面して売春が広範囲にひろがった、その始まりであった。キャリバンと魔女の名はともに、資本が身体に課そうとした規範の人種主義的・性差別的次元を示すとともに、それに抗する大衆的な、服従しない姿も表しているのである。
ブエノスアイレス・ブックフェアに合わせて、魔女の歴史から女性の家事労働をめぐる議論までをつなぐ軌跡をあとづけるこの情熱的で明晰な闘士との対話をここに掲載する。フェデリーチにとって、「「再生産」と関連する諸活動は、女性のための根源的闘争の場所でありつづけています。それは70年代のフェミニズム運動にとってもそうでしたし、魔女の歴史とつながる地点でもあるのです」。
イタリアから合衆国へ
彼女のブルックリンのアパートは、執筆や研究の仕事のために整えられている。紙やファイルがひろげられているが、整理は行き届いている。壁には家族写真や政治的ポスターがかけられ、色鮮やかに、思い出とともに部屋を彩っている。キッチンは、おそらく唯一紙類のない場所だが、明るく、パートナーの哲学者ジョージ・カフェンシスのつくったパスタのランチへと手招きしている。インタビューはイタリア語と英語、彼女の生きている二つの言語のあいだを行き来して行われた[質問者はヴェロニカ・ガーゴによる]。
──あなたのフェミニストとしての闘いは、合衆国でどのように始まったのですか?
シルヴィア・フェデリーチ(以下、フェデリーチ):私は1967年に合衆国にやってきました。反戦運動にくわわって、学生運動に関わるようになりました。そうして「家事労働に賃金を」運動に参加するようになり、フェミニストとしてフルタイムの政治活動にたずさわるようになったのです。1972年に私たちは国際フェミニスト・コレクティヴを立ち上げ、「家事労働に賃金を」キャンペーンを国際的なレベルで展開するようになりました。私のフェミニズムのルーツは、主要には、50年代のイタリアのような抑圧的な社会で育った一人の女性の経験にあります。その頃のイタリアは、反共産主義的で家父長制的、カトリックで、戦争に押しつぶされた社会でした。第二次世界大戦は、イタリアにおけるフェミニズムの発展にとって重要なできごとでした。戦争は女性と国家や家族との関係の断絶の瞬間となったからであり、それが女性たちに、自立する必要があること、男たちや家父長制的家族にたよって生き延びることはできないということ、あとで殺されてしまうならもう子どもをつくらなくてもよいということを、理解させることになったからです。
──理論的なルーツはどこにありますか?
フェデリーチ:私のフェミニズムは、理論的には、イタリアのアウトノミア運動や失業者の運動と、合衆国の反植民地運動や公民権運動、ブラック・パワー運動に発するさまざまな主題のアマルガムです。70年代には全国福祉権運動にも影響を受けました。女性たち、多くは黒人女性たちが、子どもたちのために国から補助を得るために闘った運動です。私たちにとってこれはフェミニスト運動でした。というのもこの運動にくわわった女性たちは、家事労働や子どもの世話は社会的労働であり、そこからすべての雇用主は利益を得ているということ、また国家は社会的再生産に責任をもつべきであるということを示そうとしたからです。私たちの主要な目的は、家事労働は私的なサービスではなく現実的な労働であると示すことでした。家事労働こそ、労働力を生産する労働であるという意味で、他のすべての形態の労働を支える労働だからです。私たちはいつも、家事労働をセクシュアリティとの関係、子どもとの関わりなどより広い意味で目に見えるものにしようと考えて、シンポジウムやイベント、デモを組織していました。そしてつねに、目に見えない要素に光を当て、再生産という概念を変化させ、この問題を政治的活動の中心に据える必然性を強調してきました。
賃金のために、賃金に抗して
──賃金のための闘争と、賃金に抗する闘争とのあいだにあるコンフリクトはなんですか?
フェデリーチ:私たちの見方では、女性たちが家事労働への賃金のために闘うとき、彼女たちはこの仕事に抵抗する闘いを展開してもいるのです。家事労働は、それが無償であるとき、そのかぎりではいまのようなものでありつづけます。奴隷制のようなものとして。家事労働に対する賃金の要求は、女性の奴隷化を脱自然化しました。つまり、賃金は究極の目的ではなく、女性と資本との関係に変更を迫るための、道具、戦略なのです。私たちの闘争の目標は、無償という特質によって自然化された搾取的な奴隷労働を、社会的に認知された労働へと転換させることです。男性労働者が賃金を通じて女性に再生産労働を命ずる力に基づいた、労働の性別分業を転覆させることです。『キャリバンと魔女』のなかで私はこれを「賃金の家父長制」と呼んでいます。私たちが提案したのは、同時に、家事労働がつねに女性の義務、女性の天職と考えられてきたことで女性に負わされてきたあらゆる責務を乗り越えてゆくことでした。
──では、家事労働の拒否であると同時に、再評価でもあると?
フェデリーチ:再生産そのものへの拒否ではありませんが、ええ、誰もが、男性も女性も、私たち自身のためではなく労働力市場のための再生産という意味においてのみ、社会的再生産を生きることを求められている状況に対する拒否です。主要なテーマのひとつが、再生産労働の二重の性格でした。一方で、それは生命、生の可能性、人間の再生産なのですが、同時に、労働力の再生産でもあるわけです。だから、これほど管理されているのです。私たちはきわめて特殊な労働を扱っていると考えていました。ですから、人間の再生産に関する主要な問いは以下のようなものとなります。「どのような機能によって、あるいはどのような機能において、それは評価されるのか?」「彼/彼女自身において評価されるのか、それとも市場において評価されるのか?」 家事労働をめぐる女性の闘争は、反資本主義の中核的運動であるということを理解する必要があります。この闘いはまさしく、社会的再生産の根源へと向かい、資本主義的諸関係が基礎を置く奴隷制を覆し、資本がプロレタリアートの身体のうちに創り出した権力関係を覆すのです。
──家事労働に核を据えることによって、資本主義の分析はどのように変わりますか?
フェデリーチ:労働力は自然物ではなく、生産しなければならないものであると認識することは、すべての生命は生産力となること、すべての家族と性的諸関係は生産関係となることを認識することを意味します。つまり、資本主義は工場のなかだけで発展するのではなく、むしろ社会において発展するのであり、社会は資本主義的蓄積の基礎的領域として、資本主義的諸関係の工場となるということです。ですから、家事労働やジェンダーの差異、男性と女性の関係、女性の規範的モデルの構築についての言説は資本主義の基礎に関わるものなのです。たとえば今日、再生産労働という観点からグローバリゼーションを見ることによって初めて、私たちは、なぜ女性が移民プロセスを駆動する存在であるかを理解することができます。世界経済のグローバル化と自由化が、世界中のさまざまな国々の再生産システムを破壊していること、今日女性が再生産の手段を求め、生の条件をより良いものとするために彼女たち自身のコミュニティを離れている理由がわかるのです。
第三世界での経験
──80年代にナイジェリアで生活したことは、あなたの関心にどのような影響を与えましたか?
フェデリーチ:ナイジェリアでの生活はとても重要でした。それというのも、私はそこでアフリカの現実、いわゆる「低開発」の世界に触れたからです。とても大きな学びの過程でした。私がそこにいたのは、まさに、石油ブームがもたらした発展の時代が終焉し、同時に大規模な債務危機がはじまったのを受けて、IMFに債務を負うべきか否かについて激しい社会的議論が大学も含めて起こっていた時期(1984〜1986年)でした。自由化とこの(構造調整)プログラムが社会と学校にもたらした最初の結果を目の当たりにしたのです。公共支出における甚大な変化、保健衛生と教育への補助金の削減、そして学生たちによるIMFとその構造調整プログラムに対する一連の闘争のはじまりです。これは貧困によって引き起こされた対立をめぐる闘争であるだけでなく、政治的な再植民地化プログラムに対する抗議でもあることは明らかでした。アフリカ諸国の資本主義的再植民地化を含む、新たな国際分業がどのようにして創出されてゆくのかを、はっきり見ることができました。
──共有財について、とくに土地についてのテーマがありますね。これもまた……
フェデリーチ:そうです。ナイジェリアで学んだもう一つの重要なことは、土地の問題についてです。ナイジェリアの人口の大部分は共同所有制の下にあった土地で暮らしていました。とくに女性にとっては、土地を利用する権利は自らのサブシステンスの手段を育む可能性、つまり市場に依存することなく自分自身と家族を再生産できる可能性を意味していました。このことは、私が現代世界を理解するうえで、重要な一要素となりました。ナイジェリアに滞在したことで、エネルギー、石油、そして石油企業によって煽られた世界中の戦争といった問題についての理解も深まりました。80年代にナイジェリアで起こっていたことは、それから10年後にヨーロッパで起こったことでした。まず、公立大学の予算がカットされ、経営が厳しくなります。それはそのあとで、企業のやり方で大学を変えてしまうためでした。このため、大学が生み出す知識はもっぱら市場向けのものとなり、そうした傾向以外のものはすべて軽んじられていきます。
──共有財とはなんですか? 共有財についての言説はどこから来ているのでしょうか?
フェデリーチ:60、70年代の運動の言説のなかには、「コモン」という概念は存在しませんでした。闘争は多くのことのために行われましたが、いま私たちが理解するところのコモンのためには闘われませんでした。この概念は、私有化、つまり身体全体や知識、土地、空気、水を領有し市場化しようとする企図がもたらした帰結です。ただ、それはたんなる反動というだけでなく、私たちの日常生活のとらえ方と結びついた、真に新しい政治意識でもありました。そしてそれによって、私たちの生活の共同体的な側面について熟考するよううながされました。ですから、コモンの収奪や生産と、生活および社会的諸関係の概念としてのコモンの重要性の間には、強い結びつきや対応関係があるのです。
──コモンという問題に関して、フェミニストによる理論化はどのような影響を与えたのでしょうか?
フェデリーチ:フェミニストの観点からコモンを系統立ててとらえることが重要なのは、現在、共有資源の保護とより広範な社会的協同性の創造にもっとも労力を注いでいるのが女性だからです。世界中で女性はサブシステンス農業生産者です。土地が私有化されるともっとも大きな犠牲を払うのは女性です。たとえば、アフリカではサブシステンス農業の80パーセントが女性によって生産されています。そのため土地と水の共同体的所有形態が存続していることは女性にとって必須なのです。結局、フェミニストの視点は共同体と家という組織に関わるものです。驚いてしまうのですが、コモンをめぐるどの議論でも、土地やインターネットについては話されているのに、家庭については言及されません! 私が活動をはじめたフェミニズム運動は、つねにセクシュアリティ、子ども、家庭について語ってきました。やがて私がフェミニスト、ユートピア社会主義者、アナーキストの伝統全体に強い関心を抱くようになったのも、その伝統がこれらのトピックにいかに取り組んだのかということがあったからです。わたしたちは家庭やその領域、家族についての言説を創造し、それをコモンのポリティクスの中心に据えなければなりません。今日私たちは、新たな共同体主義的なモデルを創造する実践を必要としているのです。
──それはどのようなものでしょうか?
フェデリーチ:たとえば、今アメリカでは、家賃やローンを支払えない住人やスラムの住人を住まいから強制的に排除する政策が拡大しており、その結果路上で、キャンプ状態で生活する人びとが大勢います。現在カリフォルニアには住宅危機を原因とするキャンプが複数あります。それは日常的な社会関係の構造が解かれ、新しい社会性と協同への可能性が存在する契機ともなります。そういう意味では、アルゼンチンの強制排除された住民たちの運動に見られたものは、多くの人びとが共同で生活する必要を認識した契機として、根本的なものだと思います。まさに共同体主義的な実践の再創造です。
魔女たち
──魔女狩りの目的を要約すると?
フェデリーチ:魔女狩りとは、女性の身体、労働、性的な力、再生産の力を国家の支配下におき、経済的資源へと変えてしまう家父長制秩序を構築するための手段でした。つまり、魔女狩り遂行者たちの関心は、なんらかの逸脱を罰することにあったのではなく、もはや彼らには許容できず、人びとの目にも忌まわしいものとして映らねばならないと彼らが考えるようになった、女性の行動様式全般を根絶することにあったのです。
──そのため、告発が大勢の女性に及んだと……。
フェデリーチ:魔術の告発は「反逆罪」――興味深いことに、この罪は魔女狩りと同時期にイングランドの法典に導入されました――や、現代の「テロリズム」の告発と似た機能を果たしました。告発の不確かさ――検証することが不可能である一方、同時にそれによって最大限の恐怖が引き起こされる――が含意したのは、この告発が、疑惑を生み出すことを目的として、日常生活のもっともありふれた側面をも巻き込み、あらゆる種類の抵抗を罰するために使用できたということです。
──迫害を通じて、女性の自律性に対して壮大な戦いが展開されたということでしょうか?
フェデリーチ:囲い込みが農民から共有地を奪ったのと同様に、魔女狩りは女性から身体を奪い、女性が労働力を生産する機械として機能することを妨げるいかなる障害からも女性を「解放」したのです。火あぶりの刑の脅威は、共有地の囲い込みによって立てられた柵よりも大きくやっかいな柵を女性の身体の周りに立てました。実際、隣人や友人、親族が火刑にされるのを目撃し、いかなる避妊の試みも悪魔のごとき背徳の所産とみなされることを自覚した女性たちには、大きな影響を与えたと思われます。
※当記事はブエノスアイレス・ブックフェアに合わせ、ヴェロニカ・ガーゴがシルヴィア・フェデリーチに行ったインタビューの翻訳である。2015年4月10日に Lobo Suelto! に掲載後、同月15日に Viewpoint Magazine に英訳版が公開された。
https://www.viewpointmag.com/2015/04/15/witchtales-an-interview-with-silvia-federici/
スペイン語から英語への翻訳はケリー・マルヴェイニーによる。日本語への翻訳は、『キャリバンと魔女』の日本語版訳者でもある、小田原琳・後藤あゆみ両氏にお願いした。
インタビュアーのヴェロニカ・ガーゴ(Verónica Gago)は、Colectivo Situacionesの一員であり、ブエノスアイレス大学社会科学部で教鞭をとっている。国家科学技術研究会議(CONICET)の博士研究員でもある。現在、ポスト新自由主義の状況における民衆の経済活動を研究するプロジェクトに取り組んでいる。
シルビア・フェデリーチ(Silvia Federici)
International Feminist Collective の共同創立者、Wages for Housework(「家事労働に賃金を」)運動のオーガナイザーでもあり Midnight Notes Collective にも参与していた。
キャリバンと魔女
資本主義に抗する女性の身体
シルヴィア・フェデリーチ(小田原琳、後藤あゆみ 訳)