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【連載/第4回_後編

誰がパリ五輪に抵抗しているのか ?

 

Qui luttent contre les Jeux Olympiques 2024 de Paris ?

 

 

佐々木夏子

3. 住民運動

 MNLEがメディア村の建設中止を求めて裁判を起こす前から、公園利用者たちの非公式なコレクティブがビラまきなどの地道な活動を継続していた。中でももっとも息の長い活動を続けてきた「私たちの公園は売りものではない(Notre parc n’est pas à vendre)」という名称のコレクティブの歴史は、パリが2024年五輪の招致に乗り出す以前に遡る。

 先述の通り、メディア村に隣接するジョルジュ・ヴァルボン公園はEUによって自然保護区域に指定されている。2022年現在この公園の立地はかなり不便で、利用者はそれほど多くなく知名度も低い。しかしパリ首都圏を大改造するグラン・パリ(Grand Paris)計画によって、ジョルジュ・ヴァルボン公園への交通アクセスは大幅に改善されることになっている。

 グラン・パリ計画は、パリ五輪を理解する上で極めて重要な都市計画である。本連載中に適切な分析ができなかった筆者の力不足をお詫びするとともに、本稿の理解を助ける範囲に限ってここで簡単に紹介しておきたい。

 グラン・パリ計画の要となるのが、地下鉄15、16、17、18番線の新設である。現在パリ市内には14本の地下鉄が走っているが、グラン・パリ新設路線は既設の1〜14番線のようにパリ市と郊外ではなく、郊外の間を接続する。言葉で説明するよりも図を見た方が早いだろう。

(出典:https://www.usinenouvelle.com/article/thales-eiffage-airbus-group-7-bonnes-nouvelles-pour-commencer-la-semaine.N527379

 この図の中心にある薄いグレーの部分がパリ市内で、あとはすべて郊外である。南北に走る14番線を除くすべての路線が、パリ市外を走ることがお分かりいただけるかと思う。 現在のところトラム1番線および複数のバス路線の停車場となっているラ・クールヌーヴ=シス・ルート(La Courneuxe – Six Routes)駅に、地下鉄16、17番が乗り入れることで、ジョルジュ・ヴァルボン公園へのアクセスは大幅に改善される。これを見越して、この公園は早くからデベロッバーたちに目をつけられていた。最初に持ち上がったのは、2014年末に明らかになった「セントラルパーク計画」である。パリ市からほど遠い場所にあるのに「『セントラル』パーク計画」と言われてもなかなかピンと来ないが、要はニューヨークのセントラルパークのように緑地を囲んで高層住宅2万4千戸を建設する、という計画だった。しかしジョルジュ・ヴァルボン公園は自然保護区域である。

 計画が伝わるとすぐに市民団体、労働組合、左派政党の連合する「ラ・クールヌーヴ公園の防衛・拡張を求めるコレクティブ(Collectif pour la défense et l’extension du Parc de la Courneuve)」1(注1)https://www.ensemble-fdg.org/content/non-au-betonnage-du-parc-de-la-courneuve-non-central-parkが生まれ、オンラインで6,500筆、紙で1万筆の署名を集めた。隣接自治体であるオーベルヴィリエ市の市議会も、全会一致で計画に反対する2(注2)(https://archives.aubervilliers.fr/Retrait-du-projet-Central-Park-au。こうした激しい批判を受けて時の首相、マニュエル・ヴァルスが国の関与を取り下げ、2015年7月に「セントラルパーク計画」は頓挫した。

 しかし勝利の余韻が冷めるのは早かった。2015年末以降報道されるようになったパリ五輪の招致計画3(注3)IOCおよびパリ五輪組織委員会のウェブサイトからは削除されているが、招致ファイルは以下で閲覧可能。7ページの地図内に「Media Village」がある:
https://web.archive.org/web/20170205100110/http://paris2024.org/medias/bidbook/bb3_en_inter_02_02_2017_bd.pdf
には、まるで「セントラルパーク計画」のプランBのように「メディア村」の文字が不吉におさまっていたのである。これに対して「ラ・クールヌーヴ公園の防衛・拡張を求めるコレクティブ」に名を連ねた市民団体・労組・政党は、パリ五輪の招致段階はもとより招致決定後にもまったく反応しなかった。そうした中で「セントラルパーク計画」に反対していたオーベルヴィリエ住民のコレクティブである「私たちの公園は売りものではない」が、孤軍奮闘でメディア村への反対活動に乗り出したのである。

 繰り返しになるが、フランスでもっとも熱心にオリンピックを擁護する政党は、フランス共産党である。このことが持つ含意が理解されなければ「フランスは激しい政治運動で知られる国なのに、なぜオリンピックへの反対がほとんど見られないのか」という問いが、いつまでたっても繰り返されることになる。フランス共産党の「オリンピック愛」の出所を理解するには、冷戦期にソビエト連邦が見せたオリンピック・オブセッションと、フランス共産党のスターリニズム信奉という、常識の範囲に属するであろう昔話を思い出せばひとまず十分なはずだ。

 フランス共産党の最大の地盤であるセーヌ=サン=ドニ県に、パリ五輪がらみの開発が集中するのは偶然ではない。共産党の政治家がオリンピック関連施設を歓迎するのは、当然なのだ。では共産党の政治家が熱心に誘致したメディア村などに反対する住民運動の担い手は、どのような政治的傾向の持ち主のだろうか? 共産党に対立するイデオロギーを有する右派なのだろうか?

 もちろんそんなことはない4(注4)ビーチバレー他の会場となるパリ7区のシャン=ド=マルス公園では、左派主導のオリンピック関連計画に右派が反対したが、これは例外的な構図である。。大まかに言って、パリ五輪関連施設をめぐる闘争で見られる構図は、左派内の対立となっている。共産党や社会党の政治家がメディア村やらオリンピック練習用プールやらを誘致すると、無党派左翼や場合によっては他の左派政党(LFIやEELV:本連載第一回後編参照)の反主流派が反対する、という流れが典型的である。ところで一般的に住民運動の熱心な担い手となるのは、政治への関心が高い、時間の融通が効く年金生活者であることが多い。そしてセーヌ=サン=ドニでこの二つの条件を満たす人々は、何らかの形でフランス共産党の影響下にあることがほとんどである。典型的には、共産党市政から補助金を受け取る市民団体で自身や家族や友人が活動していれば、その影響を受けずにいることは難しい。

 となると必然的に、オリンピック関連施設への反対がオリンピックそのもへの批判へと結びつく回路が閉ざされてしまうのだ。そして一般論として、コレクティブ参加者が大幅に変化しない限り、方向性が大きく変わるというような事態はまず起こらない。さらに住民運動はその性格上、視点の異なるよその土地の新メンバーが加わることはほとんどない。

 こうした事情を背景に、「私たちの公園は売りものではない」コレクティブは当初からオリンピックそのもへの批判を避けてきた。「セントラルパーク計画」への反対運動で協働したフランス共産党や労組などの組織が、「メディア村」には小指一本動かさなかった、という苦い経験から「オリンピックに反対なんかしたら、誰も私たちを支持してくれなくなる」という見解に至ったのである。この見解は「私たちの公園は売りものではない」のメンバーによって繰り返し表明される内に、ほとんどドグマの域に達することになる。

 パリ五輪の招致に反対した後、招致決定後には返上を訴えてきた「Non aux JO 2024 à Paris(2024年オリンピックのパリでの開催反対)」というグループと、「私たちの公園は売りものではない」コレクティブのメンバーは、あちこちの集会で同席し2017年にはすでに顔見知りとなっていた。しかし両者の方向性の違いは出会い頭から明らかだった。コロナ禍以前にある会議で、1976年デンバー五輪返上の前例を参照し「今ならパリ五輪の中止も不可能ではない」と、「Non aux JO」のメンバーが訴えたことがある。すると「私たちの公園は売りものではない」のメンバーの女性が、宇宙人でも見るような顔つきでこう一蹴したのだった。「今さらオリンピックをやめるなんて無理に決まってるでしょ」と。この発言には確かに、市民的常識に根ざした、健全と言ってもいいリアリズムがある。再び小笠原博毅の言い回しを借用すると、「事実上後戻りできないと結論づけ」た彼女も、「それまでかかった投資をどのようにすれば『資本貴族』たちの手から奪うことができるのかを提案」するより他ない、と考えたのだ。けれどもここには「オリンピックをやめることなく、関連建設計画を中止に追いこむことなんて無理に決まってるでしょ」という市民的常識には収まらない、「イベントの規模とIOCの利害」を理解することではじめて得られる厳しいリアリズムが徹頭徹尾欠けている。結局パンデミックによってさえもパリ五輪が中止されることはなく、メディア村の工事は進行している。

 「オリンピックに反対すると大衆の支持を失ってしまう」との理由で、あくまで一部の関連施設のみへの反対であることを強調するのは「私たちの公園は売りものではない」コレクティブだけではない。パリ五輪関連施設をめぐる住民運動のほとんどすべてがそうなのだ。2020年になってCovid-19により工事が遅れ、さまざまなトラブルが簡単に予測できるようになっても、こうした態度が変わることはなかった。

 その好例となっているのが、サン=ドニ市プレイエル地区に建設される高速道路インターチェンジ(IC)への反対運動である。地下鉄13番線カルフール・プレイエル(Carrefour Pleyel)駅近くに建設されるこのICは、サン=ドニ市プレイエル地区、サン=トゥアン市、リル=サン=ドニ市にまたがって建設される選手村と、パリ五輪メイン会場となるスタッド・ド・フランス他各競技会場をつなぐために建設される。総工費9500万ユーロは、全額オリンピック会場建設公社(SOLIDEO)が拠出する5(注5)https://ville-saint-denis.fr/am%C3%A9nagement-du-syst%C3%A8me-d%C3%A9changeurs-pleyel-a86-et-porte-de-paris-a1。このICの最大の問題は、小学校と幼稚園のすぐそばに建設されることである。そのため排気ガスが児童の健康に与える深刻な悪影響を危惧する保護者および近隣住民が反対運動を起こし、裁判闘争に出た。「メディア村」の裁判同様、一度は工事中止命令が出たものの、2020年10月にパリ行政控訴裁判所が訴えを却下。その後2021年に欧州人権裁判所に訴えが持ち込まれたが、工事は着々と進んでいる。そしてこのICの主な被害者が児童であるため、ユニセフが闘争に介入するようになったのだ。

 先述の通り、ユニセフは招致段階からパリ五輪に全面協力している。プレイエル地区住民運動の担い手は当初から「オリンピックに反対ではない」と公言していたため、ユニセフにとって接近しやすかったのだろう。しかしそれでもSOLIDEOが工事費用を全額出しているので、いくら「平和の祭典」そのものへの批判は控えたくても、このIC建設工事がパリ五輪とまったく無関係であるかのように振る舞うことは不可能である。運動を代表してメディアで発言する機会の多い住民は「パリ五輪は元々計画されていた工事を進める格好の口実を与えた」という言い方を好んで用いている。ユニセフ自体も、2021年10月に発表した「大気における社会的不平等:子どもの貧困と大気汚染」6(注6)https://www.unicef.fr/sites/default/files/atoms/files/injusticesocialedanslair_rapport_final_webpages.pdfと題された報告書内で「2015年に計画された後に直ちに却下された、サン=ドニ市プレイエル地区中心部に建設される高速IC計画は、オリンピック・パラリンピック大会準備の一環として、大会にとって重要ないくつかの場所をつなげるために2019年に再び浮上するようになった」と述べ、パリ五輪との関連性を明記している。

 ところが2022年になって、言説に大きな転換が見られるようになった。件の幼稚園・小学校の保護者会が中心となって、エマニュエル・マクロン大統領宛に工事中止を求める署名キャンペーンを3月に開始したのだが、訴え文の中でパリ五輪について一切言及しない、という離業に出たのである。このキャンペーンの中心人物と筆者の非公式なやりとりにおいて、主としてユニセフへの配慮のためにオリンピック批判が控えられるようになったことが確認されている。結果、なぜ、そしてどのような経緯でこのような場所にICが建設されるのか、それについての説明が一切提示されないテクストが世に出ることとなった。以下、本工事がはらむ問題の紹介も兼ねて全文を訳出する:

サン=ドニ市南部、スタッド=ド=フランス近くでは3歳から12歳までの600人以上の児童が咳きこんでいます。呼吸困難となっている子どもたちもいます。学校のすぐそばを走る車やトラックのために、息ができなくなっているのです。そしてあらゆる論理に反して、校庭の周囲に新道路を建設する許可がおりてしまったのです。まだ間に合います! 工事中止を求めましょう!

なぜ今行動すべきか

AirParif〔フランス環境省に認可された首都圏の大気汚染を監視する市民団体〕の最新の分析が示している通り、プレイエル地区のアナトール・フランス幼稚園・小学校は、すでに世界保健機関の勧告の3倍を超える二酸化窒素の濃度にさらされています。許せません!

こうした状況をさらに悪化させるインフラ建設が許可されたことは、ますます許せません。現在、学校を取り囲む形で、5つの出入道路を持つ高速道路ICが地上に出現しつつあるのです。

具体的にいうと、この計画が実現すると現在より1万から2万台も多くの自動車が毎日学校周辺を通ることになるのです。予定されている計画では、このICによって大気汚染と騒音が進み、以下の人々の健康が危険にさらされることになります:

── プレイエル地区の600名の児童
── 同じ地区にある保育園に通う生後3ヶ月から3歳までの70名の乳幼児
── こうした機関で働く人々
── 学生寮を含む、プレイエル地区中心部に住むあらゆる人々

フランス共和国大統領のエマニュエル・マクロン氏、エコロジー転換・国土連帯相のアメリー・ド・モンシャラン氏に、工事の一時停止を訴えましょう。それができれば工事を中断し、このICが近隣住民に与える健康被害の評価をし直すこと、そして可能な解決策を講じることが可能となります。今の条件で工事を継続することはできません!

残念ながら、プレイエル地区の学校は例外的な事例ではありません。ここで二つだけ例を挙げると、リヨンのミシェル・セルヴェ小学校や、マルセイユのクール・ジュリアン小学校も、世界保健機関の勧告を大きく超えています。

さらに欧州裁判所は2019年に、大気汚染から国民を守るための適切な処置を怠っているとフランスに宣告しています。2021年には同じ理由で、フランス国務院(コンセイユデタ)が、国に1000万ユーロの罰金支払いを命じています。

マクロン大統領、ド・モンシャラン大臣、フランス国家の名において行動を起こしてください!

もっと知るには、https://bit.ly/3woazUB をご覧ください。またはセーヌ=サン=ドニ県保護者評議会連盟までお問合せください:contactpleyel@fcpe93.fr7(注7)https://www.fcpe-saint-denis.org/2022/03/23/600-enfants-en-danger-stop-au-nouvel-echangeur-de-saint-denis/ 

 

 オリンピックに一切言及しない配慮が無駄だったのかどうか、このキャンペーンの賛同人の中にユニセフは見当たらない。その代わり、となるかどうかはさておき、本稿でこれまで言及してきたFNE、アルテルナティバ、MNLE 93、「私たちの公園は売りものではない」といった団体は顔を揃えている。賛同者の中には「Saccage 2024」および「サン=ドニ2024年オリンピック監視委員会(Comité de vigilance JO 2024 Saint-Denis )」という名称のグループが含まれているので、かろうじてオリンピックとの関係が推察できる。けれどもこの訴え文を読んだだけでは、なぜこの二団体が名を連ねているのか理解できないはずだ。

 プレイエル地区の住民運動が見せたオリンピック批判に対する極端な警戒は、他にはちょっと見当たらない突出したものであることは記しておく必要があるだろう。2022年になってパリ五輪について一切の言及を控えるまでに至った彼ら彼女らの「反・反五輪」感情は、フランス共産党のように1950年代にまで遡る強固なイデオロギーによって支えられているわけでもない。「私たちの公園は売りものではない」同様、プレイエル地区住民が持ち出す最大の理由も「オリンピックに反対すると、大衆の支持を失ってしまう」というもので、当人たちのオリンピック観は棚上げされることがほとんどである。しかしそうした懸念は果たして妥当なものなのだろうか?

 パリ五輪まであと2年となった今年7月下旬に行われた世論調査によると、フランス人の47%がオリンピックに無関心で、26%が関心があり、19%が心配している、とのことだ8(注8)https://www.leparisien.fr/sports/JO/paris-2024/paris-2024-les-francais-ne-sont-pas-contre-les-jeux-mais-il-va-falloir-les-convaincre-25-07-2022-3LCN4TMLOVGW5FN66XJPXYKEEU.php。チケットを購入し観戦するつもりだ、と答えた回答者は12%にとどまっている。こうした数字は2018年の時点での日本における東京オリンピックへの関心と比較しても相当低いものとなっている9(注9)NHKが2018年10月に実施した世論調査によると、「大変関心がある」が24.6%、「まあ関心がある」が53.3%となっている:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20181221_1.pdf。心配すべきは、オリンピックの批判によって大衆の支持を失うことではなく、果たしてこんな状態で一大商業イベントとして成り立つのか、ということではなかろうか。

 オリンピックのポピュラリテ(人気および民衆性)に尻込みして批判を控えるという態度がとりわけサン=ドニ市で目立つのは、やはりこの地域におけるフランス共産党の影響力が大きいはずだ。フランス全土では5割近くがパリ五輪に無関心で、2割近くが心配している有様だが、サン=ドニ市に限って同様の調査を行えば、この数字は大きく変わるだろう(もちろん「心配している」と答える回答者数も跳ね上がるはずだ)。そして共産党市政でスポーツ振興に力が入れられ、スタッド・ド・フランスを地元の誇りとする同市の特殊性を、住民運動の担い手が認識していない可能性は十分考えられる。つまりオリンピックの持つアウラがサン=ドニ市では過大評価されており、その感覚の相対化がなされていないのではないか、ということだ。

 そして俯瞰的かつ原理原則的なオリンピック批判を展開し、IOC解体を視野に入れた運動を志向する人々と、争点をローカルなものに止めようとする意向が強いこうした住民運動の関係は、必然的に緊張をはらむことになる。こうした緊張関係については、いずれあらためて分析をし直すつもりである。

4. 労働組合

 フランス共産党による熱心なオリンピック推進の影響は、同党の地盤となっている地域の世論形成に止まらない。共産党との関係が深いフランス最大の労働組合、フランス労働総同盟(Confédération Générale du Travail、以下CGT)も不可避的にオリンピック推進派となる。そしてCGTがオリンピックを支持するということは、パリ五輪に対する組織的なデモやストライキがフランスでほぼ不可能となることを意味するのだ。

 CGTのオリンピック支持の歴史も、昨日今日始まった話ではない。ボルドー大学のスポーツ史家、ファビアン・サバティエの著作『20世紀におけるフランスの共産主義スポーツ組織の歴史(Histoire des organisations sportives communistes de France au XXe siècle)』によると、1960年代までは「スポーツは大衆のアヘンである」との見方が労働組合員の間で優勢だった、とのことである。それまでは、フランス共産党のスポーツ部隊と言っても過言ではない、労働スポーツ・体育連盟(Fédération sportive et gymnique du travail、以下FSGT:本連載第一回参照)が、フランス産業界における企業内スポーツの主たる担い手だった。この頃までCGT内部では、スポーツに力を入れすぎて肝心の労働運動が疎かになっては困る、という考えが根強く、FSGTへの支援は微々たるものであったのだ。労働者が労働から解放される時間は無限ではない。その貴重な時間を労働運動に使うのか、スポーツに興じるのか、という競合関係が存在する10(注10)Fabien Sabatier, Histoire des organisations sportives communistes de France au XXe siècle, 2013, Presses universitaires de Grenoble, pp.115-116.

 こうした状況が変化するのが、1960年代末から70年代初頭にかけてのことである。この時期にCGTとFSGTは、企業内スポーツにおけるお互いの役割を取り決める協定を結んだ。ファビアン・サバティエによると「CGTは企業内スポーツの概念化、ならびにスポーツの民主化を担う企業内委員会の支配権を握り続ける。FSGTはスポーツを行わない人々のみを対象としたイニシアチブを実践する」11Sabatier, Ibid, p.116とのことである。

 ところでFSGTおよびその前身12(注12)社会党スポーツ連合(l’Union sportive du parti socialiste)および労働スポーツ連盟(Fédération sportive du travail)、本連載第一回参照。は、第二次世界大戦前には反IOCだった歴史がある。近代オリンピックは当初、創始者ピエール・ド・クーベルタンの人種/階級/性差別イデオロギーを色濃く反映していた。これは当時の左派には容認できないものであって、1920年代および30年代に労働者オリンピアードやスパルタキアードといった左派主催の国際スポーツ大会が開催されていたのは、本連載第一回で確認した通りである。しかし第二次世界大戦後に、世界の共産主義の指導的立場にあった某独裁者がIOCへの加盟を決定すると、FSGTを中心とするフランスの共産主義スポーツ界はその方針に忠実に従ったのだった。

 オリンピック開催を控えたフランスで、CGTが他の労組(CFDT、FO、CFTC、CFE-CGC)および経営者組合(CPME、U2P、MEDEF)とともに、パリ五輪組織委員会と「社会憲章(Charte sociale)」13(注13)https://analyses-propositions.cgt.fr/sites/analyses-propositions.cgt.fr/files/2020-09/Charte%20JO%202024.pdfを締結したのは、こうした文脈においてなのである。FSGTは1930年代には反IOCだったけど、スターリンの決定に従い1950年代にその立場を変えた。そのFSGTに対して元々冷淡だったCGTは、1960年代末に協力関係を構築する方針へと舵を切った。だからCGTはオリンピックに協力する。この社会憲章内に「ストライキ(grève)」の語は一度も出てこないが要はそういうことで、オリンピック期間中にストライキが起きないことが早々に保証されたのである。

 もちろん誰もがそこまで遡って「そりゃCGTなら五輪組織委員会とそういう憲章も結ぶでしょ」と、あっさり納得するわけではない。2017年4月、つまりパリ五輪の招致が正式に決定する五ヶ月前、日刊紙『リベラシオン』の記者がCGT前書記長、ベルナール・チボーにインタビューを行っている。招致決定後に「社会憲章」を締結することになるCGTを含む前述の5労組は、同年3月末にすでに招致委員会と「雇用のための憲章」を締結した。それを受けて『リベラシオン』の記者が、なぜ労組がパリ五輪に協力するのか、という疑問をぶつけたのである。以下は同インタビューの抜粋である。長い引用となるが、今後世界中から出てくるだろう「なぜフランスで反五輪ストライキが起きないのか?」という疑問に答える、非常に重要な内容となっていることがお分かりいただけるはずだ。

リベラシオン紙(以下「リ」):労働組合がパリ2024と協定を結んだのはなぜですか? フランス大会およびIOCのスポンサー企業は、時に社会的側面における悪辣なマネージメントで知られる巨大企業ですが…

ベルナール・チボー(以下BT):まさにそうなんです。財界に好き勝手を許すべきではないでしょう? 財界がすべてを決めるべきでしょうか? 労働組合は、重要な大衆的メディアイベントで自らの役割を果たすことを望んでいます。労働組合にとって重要となるのは、メッセージと社会的価値を発して、優れた適用を保証することなのです。模範的な大会を組織しようとするパリ2024のアンガージュマンを、私たちは理解しました。あとは、社会的模範たらんとするこの意志に、大会前、期間中、大会後に寄り添うだけです。大会のためのインフラのほとんどはすでに存在していますが、それでも数万の雇用が関係しています。会場や交通・通信網の修復・建設工事の分野においてです。(…)

:ではなぜ協定を結ぶ必要があるのでしょう?パリ2024の労働者を保護するには、労働法典を守ればいいのでは?

BT:さらなる注意の証です。そしてパリ2024関連入札に参加しようとする公共団体や企業へ私たちが送る合図です。

:それはつまり、オリンピック前および期間中にストライキを実行することを労組は放棄する、ということですか?これだけメディアの注目を集めるイベントなのだから、むしろ要求のショーケースとして機能するように思えますけど…

BT:歴史を振り返れば、2024年8月の大会期間中に、大規模なストライキが起きる可能性はほとんどありません。フランスで8月に起きた最後の運動は1944年に遡ります。それは国の解放を求める鉄道員たちの蜂起でした。それ以来、フランス人たちは多くの機会に、さまざま理由でデモを打ってきましたが、オリンピックに反対するデモが起きたことは一度もないのです。そういうわけで、パリが2008年大会に立候補し、2005年にIOCがフランスの施設を視察中に社会運動が起きましたが、私たちはオリンピックを支持する旗とともに行進しました。私たちは標的を間違ってはいない、と示すためです。(年号ママ、太字強調引用者)

:2016年大会前にブラジルを揺るがしたような、社会紛争を回避しようとしているように見えますけど?

BT:確かに、過去には社会紛争が起きたこともあります。でもそれは、開催国が先を読んで十分に準備してこなかったためです。フランスにおいて、労働組合の目的はオリンピックに反対することではなく、好条件でことが運ぶように前もって十分に準備することなのです。

:オリンピック運動は、本当に社会問題に関心があるのでしょうか? 自由主義と親和性が高く、民主主義的文化を欠いた国の代表者が指導しているように見えますが?

BT:ウィ。2030年までにすべての立候補都市が社会基準を満たさなければならないとする目標を、IOCは設定しました。パリはその点を先取りしているのです。9月にフランスが選ばれれば、史上初の社会的模範性を掲げた開催都市となるのです。それは世界が危機的な状況に置かれている文脈において、フランスの社会モデルを周知させる機会となります。労働法典を持つ国はわずか90カ国で、労働者の75%は社会保障制度を持たず、50%に年金が支給されないのです…14(注14)https://www.liberation.fr/sports/2017/04/12/bernard-thibault-le-but-des-syndicats-n-est-pas-de-s-opposer-aux-jo-mais-de-travailler-en-amont_1562348/

 

「財界に好き勝手を許すべきでない」からこそこうした協定を結ぶのだ、というチボーの論理は、「どのようにすれば『資本貴族』たちの手から奪うことができるのかを提案」する「どうせやるなら派」の典型である。そして(たとえばブラジルに対する)「フランスの社会モデル」の優越を疑わない、「アテネや北京やソチやリオや東京と一緒にするな」と言わんばかりの、というか実際に口にしている、差別感情も余すことなく発露されている。2017年4月に行われたこのベルナール・チボーのインタビューは、フランスのオールド左翼がパリ五輪に反対しない理由を示す、最良のテクストの一つであろう。わざわざ分析を加える必要もない。本人が包み隠さず、左翼ナショナリズムに支えられた五輪擁護論を白日の元に晒しているのだ。

 このインタビューから約5ヶ月後に、リマのIOC総会で2024年パリ五輪が正式決定する。その翌日(2017年9月14日)付で、CGTは「CGTにとって、責任あるオリンピックに向けた好発進(pour la CGT:top départ pour des JO responsables)」15(注15)https://www.cgt.fr/comm-de-presse/jo-paris-2024-pour-la-cgt-top-depart-pour-des-jo-responsablesと題された声明を発表している。その内容は先のチボーのインタビューに比べると実に薄く、「オリンピックの運営には警戒していく」といったアリバイを随所に散りばめた、毒にも薬にもならない五輪へのエールに止まっている。

 それから5年。COVID-19による工事の中断を挟み、現在サン=ドニ市では選手村や、大会前までの完成が至上命令となっているサン=ドニ・プレイエル駅の工事が急ピッチで進められている。スポーツ大会の準備につきものの重大な労働災害は、フランスの工事現場でもやっぱり起きている。今年1月に、選手村の工事現場で労働者がトラックに轢かれて重傷を負った際には比較的大きく報道されたが16(注16)https://www.lefigaro.fr/sports/jeux-olympiques/jo-2024-un-ouvrier-grievement-blesse-sur-le-chantier-du-village-olympique-20220125、それからこの種の事故は増えていくばかりなので「オリンピック関連事故報道疲れ」とでも言える感覚の麻痺が進行している。われわれは悲劇に慣れ、ニュースは日に日に新鮮味を失っていく。

 サッカーW杯を控えるカタールでの死亡事故の多発は、多くのフランス人にとって他人事である。労働法典や社会保障制度を持たない独裁国家と、フランスにおける労働条件が比較されることなどまずない。6500人もの死者が出ている17(注17)https://www.theguardian.com/global-development/2021/feb/23/revealed-migrant-worker-deaths-qatar-fifa-world-cup-2022、と報道されているカタールW杯と、パリ五輪の建設現場の労働者の置かれた環境が類似している、などと言うつもりは私にもない。しかし共通点など何もない、と言ってしまえばそれもまた嘘になる。

 改めて言うほどのことでもないかもしれないが、大規模スポーツ大会関連工事には「納期をずらせない」という厳しい制約が存在する。世界的伝染病が起きて工事が中断されようと、資源大国による侵略戦争のためにエネルギー危機18(注18)第一次オイルショックの間に準備が行われた1976年のモントリオール五輪は返済に30年も要する莫大な赤字を出し、近代オリンピックの転換点となっている。が起きようと、その結果資材価格が高騰しようと、その結果大規模インフレが起きようと、その結果金融引き締めが起こり景気が大きく後退しようと、納期は延長されない。パリ五輪に関して言えば、2024年7月26日という開会式の日程は死守される。COVID-19、ウクライナ戦争、欧州ガス危機、インフレと来た後で、これからヨーロッパは2008〜11年を超える大型不況に襲われるのではないか、との憶測が現在飛び交っている。それでも2024年7月26日までに、第33回オリンピアードを記念するパリ大会を無事開催するため、すべての工事を終えなくてはならない。そしてこの文の「工事を」のあとに副詞を入れるとしたら、「無事に」ではなく「何がなんでも」となる。パリとカタールはこうした構造的問題を等しく抱えているのだ。

 この無茶ぶりの皺寄せを真っ先にかぶるのは、もちろん現場の労働者たちである。他の工事現場で、これほどまでに安全性よりも納期が優先されることはあまりない。道路や学校の建設が予定より遅れても、そんなに問題となることはない。けれども納期が──比喩でもなんでもなく、人命よりも──優先されれば、トラックに轢かれたり、数十メートルの高さから落下する労働者が続出するのは、論理的な帰結である。

 衰退したとは言われているものの、CGTにはいまだに60万人超の組合員がいる。この60万人の中に、オリンピック開催建設工事が孕むこうした特殊性に気づいた人が一人もいなかったとは、私は思わない。60万もの組合員が一人のこらず「フランスの社会モデル」に守られている自分たちはリオやカタールの労働者とは違う、との差別感情を内在化していたはずがない。ストライキ権を放棄するなんてもってのほかだ、という意見だって絶対に内部から出ていたはずだ。けれどもCGTのような垂直統合型組織の意見として外に出てくるのは、指導部のそれだけである。

 しかし希望はゼロではない。パリ五輪組織委員会と社会憲章を締結したのは、全国レベルの労使交渉権を持つ5大労組(CGT、CFDT、FO、CFTC、CFE-CGC)である。つまりそれ以外の労組は、この憲章に署名していないということでもあるのだ。交渉権を持たない労組の中では最大規模のソリデール(Solidaires)という組合は、10万人前後の組合員を抱えている。その数はフランス共産党の党員数をはるかに凌駕するものだ。

 ソリデールは招致段階からパリ五輪反対派に協力してきた。2017年1月には、パリ五輪招致に反対する署名への賛同を発表19(注19)https://solidaires.org/sinformer-et-agir/actualites-et-mobilisations/locales/non-a-la-candidature-de-paris-aux-jeux-olympiques-2024-solidaires-allier-signe-et-appelle-a-signer-la-petition/。その後IOCがパリに視察に来た2017年5月に、パリ1区のシャトレ広場で小規模な招致反対集会が行われたのだが20(注20)集会の模様を伝えてくれた数少ない報道がこちらとなる:https://reporterre.net/Paris-promet-des-Jeux-olympiques-ecolos-Vraiment、その際にソリデールはロジスティック支援(トラックや音響装置など)を提供してくれたのだ。ソリデールは自分たち名義のパンフレットでパリ五輪を批判することもあるが、五輪反対運動の文脈で目につきやすいのは外部グループへの協力だろう。2022年5月にセーヌ=サン=ドニ県で行われた反オリンピック国際集会では、中継のために自分たちのYouTubeチャンネルを使わせてくれている21(注21)https://www.youtube.com/watch?v=o6pHIUl7-is

 これから2年間で、ソリデールは選手村建設現場でのストライキを呼びかけるだろうか? もしそうなったら、多くの労働者がそれに続くだろうか? あるいはパリ五輪大会期間中にソリデールの鉄道部門、SUD Railがストライキを起こして、パリ首都圏の交通ダイヤは乱れまくるだろうか? こうした具体的な行動が、起こるか起こらないか、という現実味の話になってしまえば、かすかにゆらめく意気などあっという間に消沈してしまう。しかし私たちがなすべきことは「もしストライキが起こるとすれば」という問いが開く可能性へと想像力を飛翔させ、未来につなげることであろう。その程度の忍耐とオプティミズムすら持ちえないのなら、誰がオリンピックに反対などするだろう?

4回「前編」

 
第1回「前編後編
番外編 
第2回 
第3回 

著者紹介

佐々木夏子(ささき なつこ)

翻訳業。2007年よりフランス在住。立教大学大学院文学研究科博士前期課程修了。訳書にエリザベス・ラッシュ『海がやってくる――気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』(河出書房新社、2021年)、共訳書にデヴィッド・グレーバー『負債論――貨幣と暴力の5000年』(以文社、2016年)など。