追悼 デヴィッド・グレーバー(1961-2020)
マーシャル・サーリンズ(中川理 訳)
編集部より
2020年9月2日、文化人類学者でアクティヴィストのデヴィッド・グレーバーが、滞在先のイタリア・ヴェネツィアで急逝した。以下は、グレーバーが学生の頃に指導を受けた、文化人類学者マーシャル・サーリンズによる追悼文の訳出である。
原文は、The New York Reviews of Books に掲載された複数人の著者たちによる追悼記事 “David Graeber, 1961–2020” より抜粋し、中川理氏に訳出いただいた(最終アクセス2020年9月10日)。
故デヴィッド・グレーバーに謹んで哀悼の意を表するとともに、邦訳の掲載を快諾してくださったマーシャル・サーリンズ、The New York Reviews of Books、そして、翻訳を担当いただいた中川理氏に心より感謝申し上げたい。
なお、デヴィッド・グレーバーとマーシャル・サーリンズの共著On Kings(2017, HAU)の日本語訳版は、小社より刊行予定である。
何年か前、デヴィッドがロンドンで行われる権威あるマリノフスキ・レクチャーの講演者に選ばれた時、紹介役のオリヴィア・ハリスが、博士課程で彼の指導教官だった私の経験について聞くために電話してきた。「彼はアイデアの湧き出す泉でしょう」と彼女は言った。「そんなデヴィッド・グレーバーをどのように指導したのですか」。「指導なんてしませんでしたよ」と私は彼女に答えた。そもそも、どうすればアナキストを指導することなどできるだろうか。
デヴィッドは、私が持ったなかで最も創造的な学生であり、型にはまった人類学の常識を絶えずひっくり返そうとしていた。そしてしばしば、表向きは支配されている人々が、彼らを苦しめる国家や王などの強制的制度をいかに自分たち自身の力でくつがえし、自己統治するコミュニティの飛び地をつくりだしてきたかを示そうとしていた。マダガスカルの村での二年間のフィールドワークで、人々は納税申告書に記入はしても税金は支払っていないこと、周辺地域における国家の存在についての報告は誇張されてきたことを、彼はじっさいに確かめることができた。
デヴィッドのアクティヴィズムと彼の人類学は、一体化していて切り離せないものだった。小冊子『アナキスト人類学のための断章』は、彼のアナキストとしてのマニフェストである。とはいえ、これは爆弾を投げることや暴動についての本ではない。アマゾニアからアフリカのコンゴにいたる世界中の人々が、どのようにして霊魂や政府の権力に抗して自己決定のための避難所を徐々につくりだしてきたかについてのものだ。
こうしてグローバルな再構築を進めていくうちに、デヴィッド自身が多くの意味でグローバルな人間となっていった。私たちが共同で本を執筆していた2016年のあいだ、彼はこの本についてのコメントを、ヨルダン川西岸地区のナーブルスや、シリアや、トルコのどこかからEメールで送ってきていた。それらの場所で彼は、地元のアナキストたちのそれぞれの果敢な戦いに加わってきたのだ。時間においても、知識においても、困難な状況にあるすべての人々に対する共感においても、誰よりも惜しみなく与える人であったデヴィッドは、人間的・知的存在感をグローバルに広げ、考えをともにする同志たちの国際的ネットワークの中心人物になった。
彼の政治的意見も、同様にグローバルだった。そのなかには、国境を廃止して人々がどこにでも移動できる自由を与えよ(そして、ラオス人であればラオスで幸福に生きられるように以前の支配国が努力する誘因をつくれ)という要求や、世界規模の「大恩赦の年(Jubilee Year)」にすべての国の負債を帳消しにせよという要求が含まれていた。
そして、これらすべてにおいてデヴィッドは、知的奥行きのある人類学者であり続けていた。彼は、学問においてもグローバルな、人類経験の多様性についての深い専門知と世界の諸文化について百科全書的知識を備えた最後の人類学者の一人だった。後期旧石器時代の狩猟民、西アフリカの諸王国、ポリネシアの首長、マダガスカルの諸国家、海賊の共和国をはじめとする多くのことは、彼にとっては無関係ではなかった。そこから彼は、多くを学ぶことができた。
デヴィッドの著作の一つには、『さまざまな可能性 (Possibilities)』というタイトルがつけられている。この言葉は、彼の仕事全体を見事に描き出している。彼の人生のタイトルにつけたほうがよいくらいだ。想像もされていない自由の可能性を示してくれたこと、それが、彼から私たちへの贈り物だった。